2011年9月16日金曜日

漱石の「I love you. 」に思うこと

漱石は、「I love you. 」という英文を、「月が綺麗ですね」と訳したらしい。

ツイッターでも流行っていたし、けっこう知っている人も多いと思います。

そして、これが紹介されるとき、だいたいこんなコメントがつく。

「なんかよくわかんないけどかっこいい」

「漱石の訳はオシャレだ」

「奥ゆかしいっす」

賛否両論あるけど、なんだかんだ「素晴らしい」と評されている。

……

そうかなあ、と僕は首をかしげる。

あまりいい日本語訳だとは思わない。

そもそも、これは僕の憶測だけど、漱石はそう訳さざるを得なかったんだと思う。

漱石の夫妻は不仲であったことで知られる。

奥さんと漱石だと、奥さんの方がいつも一枚上手だった。

奥さんは気が強い人だったんだ、たぶん。

そんな人に対して、「愛しています」とそのまま言うのは気が引ける。

なんだか、奥さんに負けた感じがするじゃない。

だから漱石は、

「あなたと一緒にいると、なんだかいつも見ているはずの月でさえ、心なしかきれいに思えるようだ」

と、いうようなことを言ったのだろう。

漱石は、「うまく訳した」というよりもむしろ、「そう訳してしまった」という、
ある種の束縛的感情に恣意的に操作され、自らの意思をも凌駕した己の言葉に翻弄された結果、えーつまり何が言いたいかって、僕はあんまりその訳が好きじゃないということです。

なぜなら、僕はそのような気の強い女性を好きになったことがないから。

……

じゃあどう訳そうか。

どう訳すのがいいんだろう。

そうだなあ、僕なら、

「君のことが好きです」

に落ち着くかな。

シンプルな好きは、シンプルに伝えるのが一番いいと思うんだよね。

「愛しています」にしなかったのは、僕がまだ、女性に対してそのように感じたことがないから。

好きだなあ、とは思っても、愛しているなあ、とは思ったことがない。

いや、もしかしたらそう思ったこともあって、僕がそれを「愛している」だとは認識しなかっただけかもしれない。

まあいずれにしても、好きの方がなんか好きだな。なんて。

……

これまでの人生で、「好きだな」って思った人には、ちゃんとそれを伝えてこれたと思う。

それがたとえ叶わないものだと知っていたとしても。

だって、誰かに「好き」って言われたら、とてもうれしいじゃない。

僕はいつも、涙が出そうなくらいうれしくなる。

だから、その人にもちゃんと伝えた方がいいんだって思う。

本当にあいまいな感情だから、大事に育てないといけないよね。

……

最後に、漱石の小説の言葉を借りて。

「しかし君、恋は罪悪ですよ。解《わか》っていますか」

漱石は偉大な文豪だ。

ほんとうに、そう思います。

2011年8月31日水曜日

螺旋 らせん

他人の意見には耳を傾けない。

自分の生き方を貫こう。

「読書は時代遅れだよ」なんて言葉は気にしない。

好きな小説をたくさん読もう。

屈折した直線的な感情が持ち味。

「変わってるね」は褒め言葉なんだろう?

他人の評価はどうでもいい。

いつまでも君を好きでいよう。


僕を形作る螺旋が、ひとつひとつの螺旋が、頑なに僕を主張している。

僕は、本当の僕を、まだ知らない。

「お前はいったい、だれなんだ?」


僕は、僕自身の問いかけにすらも耳を貸さず、今日も生き延びていく。

力強く、力強く。

2011年8月23日火曜日

おもてなしの心

朝は気持ちがいいですね。

なにが気持ちいいって、昨日の記憶が整理されたばかりだから、
頭に何も余計なものが入ってない!

こういう時間帯が、文章を書くのにはピッタリだと思います。

脳みそのラジオ体操みたいなね。

では。

……

去年の夏休み、僕らは日本の最北端に向かってました。

僕らとは、僕と、高校の頃の友達3人のこと。

大学生らしく、列車だけで最北端を制覇する、ということを画策し、稚内へ向かってた。

メンバーの中に、北海道への道のりが「通過点」となる奴がいた。

そう、東北大学に通う山口君だ。

彼は大学の立地上、仙台に住んでいたが、夏休みに入って神奈川に帰ってきていた。

まあその4人で北海道を目指すので、仙台で一人暮らししている彼の家は
かっこうの「宿」である。

僕らは、仙台の彼の家に一泊することを楽しみにしていた。

(どんなぼろい所に住んでいるのかな!?)

……

長い列車の旅を経て、ようやく仙台に到着した。

忘れちゃったけど、たしかこの日は松島に行った。

(あー松島や、松島や…)

とは誰もならなかったけど、そこは静寂を感じさせる空間だった。

そして4人で焼きガキを食べた。

実はこの日、初めてカキを克服したというのは、
恥ずかしかったので誰にも言っていない。

うまいか、と聞かれたら、首をかしげる味だよなぁ。

みんなおいしそうに食べてたから水を差す発言はしなかったけども。

そして夜になる。

何かと話の割れる4人だったが、

「仙台での夜は牛タンを食うぜ!」ということでは満場一致していた。

そういうわけで、仙台市街へ訪れる。

実は僕は、この仙台駅周辺がけっこう楽しみであった。

僕の大好きな作家、伊坂幸太郎が東北大出身であり、
彼の小説ではしばしば仙台が舞台となるからだ。

仙台駅は、けっこう栄えていた。

新しくて綺麗な建物も多い。

だけど、東京みたいな空気の悪さもない。

仙台の空気は気持ちよくて、僕は好きな町でした。

ある友人は「新宿には負けるよな!」とかほざいていたが、
比較のポイントがよくわからん。

そんな仙台で、牛タン専門の店に入る。

かなり混んでいた。

僕らの旅のスタンスは、「食には金をいとわず使おう」という
ものだったので、「極」というかにも高級そうな名前のセットを注文した。

「すいませーん!『ごく』4つで!」

「かしこまりました。『きわみ』4つですねー!!!!!!」

……

牛タンはとってもうまかったです。

1日目からとても豪華な晩御飯だった。

何が素晴らしいって、仙台在住の山口君の粋な取り計らいだ。

「せっかく仙台きてくれたんだから、俺が全部おごってやるよ!」

けっこうな値段までいったが、彼はこう言った。

僕らは感謝の意を告げ、お言葉に甘えました。

山口君にはおもてなしの心があったんだと、しみじみ思う。

「他人をもてなすのには、ちょっと太っ腹なくらいがちょうどいい」

そのことをよくわきまえていた。

ただ一人進んだ仙台という地で、社会人としての生き方を学んでいっている山口君を、
僕はこの日、心から尊敬したのであった。

ちなみに、仙台のアパートはとてもきれいでした。

なんでも地価が安いので、いい物件がたくさんあるのだそう。

いい街だ、仙台。

……

とはいえ、僕が今日取り上げたかったのは、この「おもてなしの心」だ。

この「おもてなしの心」というのは、外交政策においてとても重要だと思う。

……

韓国に、この「おもてなしの心」は備わっていない。少なくとも竹島問題において。

【日本固有の領土で、韓国が不法占拠を続ける竹島(韓国名・独島)近くの韓国・鬱(ウル)陵(ルン)島を視察するため、日本の自民党議員3人が韓国の空港に到着した。
が、韓国政府は「両国の良好な関係に役に立たない」との理由で入国を拒否した。】

日本の国会議員が入国を拒否されるのは極めて異例だ。

しかもこのとき韓国が適用したのが「テロリスト条項」であるという。

日本の国会議員がテロリストの可能性がある、と苦し紛れに決めつけたのだ。

竹島は日本の領土だ。
それを韓国は、韓国領土の「独島」であると主張している。

日本の議員が視察を試みたのは、「ウルルン島には独島が韓国領土であるという証拠がある」
と韓国自身が言ったからである。

「韓国側の見解を知り、日本の見解との差異を知る」
のがウルルン島視察の目的であった。

が、韓国は拒否をした。

はっきり言って言語道断である。

ウルルン島には本当は証拠がないので、それを隠しているためだとしか思えない。

……

「竹島問題」において、両者の合意の目途はまったく立たない。

管政権は、外交の面でかなりの失敗をした。

日本が何も言わないのをいいことに、
中国や韓国はどんどん領土をぶんどるつもりだ。

しかしながら日本と韓国は、
極東アジアの要として、これからも十分な相互協力が必要だ。

そのためにも、まずは「おもてなしの心」をもって相手と接し、
しっかりと相手の見解に耳を傾けることが必要であると思う。

……

以上でおしまい。

もっと竹島問題では書きたいことがたくさんあるけど、割愛します。

みんな政治とか興味ないと思うしね!

あー、書いてたら頭がすっきりした。

今日も一日、元気にいきましょう!

2011年8月6日土曜日

人道的なパラドックス



産経新聞の、数日前の記事にあった写真です。

突然ですが、これはなんの写真でしょうか。


きれいなお部屋。

一見すると、ホテルの一室のよう。

そこまでいかなくても、マンションやアパートのお部屋みたいだ。

……

数日前、ノルウェーで連続テロが起きた。

ノルウェーの自然豊かでのんびりとした街で、突如として起きた無差別乱射事件。

90人以上が犠牲になった。

当初イスラム系過激派の仕業だとも疑われたこの事件の真相は全く逆で、
犯人は「反イスラム」を主張するアンネシュ・ブレイビクだった。

ブレイビク容疑者は、
「多文化主義をやめないと、西欧におけるイスラムの植民地化をくいとめることができない」
と主張し、イスラム移民に対する反感を表した。

僕は、テレビのニュースで事件を知った。

「これは必要なことだった」と悠長に述べる容疑者に、失笑した。

君、こんな極悪犯罪なんか犯したら、自分だって刑務所入りか死刑だろう?と。

僕の考えが浅はかであったことに、翌日の新聞で知る。

……

実は冒頭の写真、刑務所なんです。

ノルウェーの刑務所。

死刑制度や終身刑がないノルウェーで、「人権への配慮」を基に建設されたという。

日本の死刑制度は、世界的に見たらマイノリティだ。


この刑務所、液晶テレビやシャワー室、机なども取り付けられており、
さらには共同の台所や談話室まであるという。

写真を見ただけでも住み心地がよさそうだ。

ブレイビク容疑者も、こんな豪華な刑務所に入れられると知っていてテロを起こしたのであれば、
「必要なことだった」とでもなんとでも悠長なことが言えるだろう。

……

「人道的」とはなんなのだろうか。

「社会的」とはなんなのだろうか。

昔から、犯罪者に対する刑罰の仕方には様々な議論があって、答えも出ていない。

かたや死刑制度の国があり、北欧のとある国ではパラダイスである。

何十人という人間を殺害して、こんな豪華な部屋で過ごしてもらうのが「人道的」なのだろうか。

それでも「死刑制度」よりは「人道的」なのだろうか。

今回のノルウェーテロは、そのことを改めて考えてみるいい機会かもしれない。

もしかしたら、この事件を契機に、ノルウェーでの犯罪が増えるだろう。

そうなる前に、もう一度テロリストの処置について検討すべきである。

……

最後に、日本人には理解しがたい宗教概念について触れておきます。

最近、ちょうど「イスラームとは何か」という新書を読んでいたのですが、そこにヒントがありました。

イスラームというのは、「発生と広まりが西欧人には信じがたい宗教だ」とまとめることができます。

イスラームが生まれたのは7世紀ごろ。
ムハンマドが「預言者であると自覚」し、アラビア半島から始まった宗教でした。

そのときまでに文明が栄えていた国としては、イランにはアケメネス朝ペルシャ、地中海には古代ギリシャ、古代エジプト、ローマ帝国などがあげられます。

アラビア半島から世界宗教が生まれる要因は、何もなかった。
当時、まだアラビア半島には、文明のかけらなど微塵もなかったのです。

そんな空白の中から突如イスラームは誕生し、信徒を徐々に獲得していき、ひいては世界宗教にまで上り詰めた。

それが、イエスを崇拝するキリスト教徒の反感を買ったということは、想像に難くないでしょう。

そしてその感情が、現在まで根付いているのです。

私たち日本人は、宗教をそこまで深く考えていないタイプだと思います。

そのことについても、ある程度考えがまとまった時に書きたいと思います。


2011年7月22日金曜日

タオンガのリレー

マオリ族には、「ハウ」という霊的贈り物の概念があります。


「仮にあなたがある品物(タオンガ)を所有していて、それを私にくれたとしましょう。
あなたはそれを代価なしにくれたとします。
私たちはそれを売買したのではありません。
そこで私がしばらく後にその品を第三者に譲ったとします。
そして、その人はそのお返し(ウトゥ)として、何らかの品(タオンガ)を私にくれます。

ところで、彼が私にくれたタオンガは、私が始めにあなたから貰い、
次いで彼に与えたタオンガの霊(ハウ)なのです。
(あなたのところからきた)タオンガによって私が(彼から)受け取ったタオンガを、
私はあなたにお返ししなければなりません。

(……)

それをしまっておくのは正しいとは言えません。
私はそれをあなたにお返ししなければならないのです。
それはあなたが私にくれたタオンガのハウだからです。

この二つ目のタオンガを持ち続けると、私には何か悪いことが起こり、
死ぬことになるでしょう。

この文章は、モースの「贈与論」の中で述べられたものです。


誰かから何かをもらい、自分はそれを誰かにパスをする。

そして自分が渡した相手から返礼が来たとき、初めて自分がパスしたものが
贈り物であったことに気付く。

僕たちは、その連鎖で生きています。


それなら?

僕は、返礼を気づくことができない人間だったように思います。

与えられることが当然で。

返礼を受けることも当然で。

生きることはもちろん当然で。

いつからそうなってしまったんだろう。



あの日、かけてくれた言葉が返礼だったと気づいて、僕は情けなくなった。

このタオンガを、誰かに渡さなくちゃ。


みんなも、受け取ったタオンガは、大事に誰かに渡してください。

2011年7月4日月曜日

ジグソーパズルは終わらない

人生はジグソーパズルみたいなもの。


たくさんの人との出会いが。

到底乗り越えられない困難な壁が。

思い出したくもないつらい過去が。

あの人との恋愛が。

それぞれ一つのピースとなる。

……

僕らはまっしろな画面に、一つずつピースをうめていく。

ただ一つ本物のパズルと違うのは、四つ角と側面がないということ。

僕らは、だから、際限なくストーリーを広げることができる。

全体像はできあがるまでわからない。

むしろ全体像というのはないのかもしれない。

……

SNSというツールを手に入れてから、僕らのピースは何百倍、何千倍にも増えた。

そのSNSの代表格、ツイッター。

ツイッターというツールは、人との出会いを本当に簡単なものにした。

……

僕は先日、ある人とツイッターを通じて知り合った。

僕はその人の活動に興味をもち、彼女も僕のNGO活動などに興味を持ってくれている。

お互い異なる大学に通い、異なる価値観を築いている。

そして、今度実際に会って話すことになった。

こんなわくわくは、ツイッターからしか得られない。

このことを他人に話すと、「なんだよ、ただの出会い系じゃん!」と言われるのだけど、僕はそうは思わない。

「価値観を広げたい」

そういう思いが、強い。

ツイッターを通じて、気になる人に簡単にアクセスできるようになったのは、本当に素晴らしいことだと思う。

僕はその人以外にも、ツイッターを通じて知り合えた人が何人もいる。
男も、女も。

それはソーシャルネットワークなしでは、決して知り合えなかったような人たちだった。

……

SNSの普及によって、本当にたくさんのパズルのピースがばらまかれた。

僕らの周りには、無数の出会いが転がっている。

今、僕らに求められているのは、そんな無数のピースから選択をする力だ。

自分にとって本当に有意義なピースを選び、画面に埋めていく。

ぼんやりでいいから、全体像を描き出し、少しでもそれに近づけるようにピースを埋めるんだ。

ワクワクするだろう?

そう、それでいいんだ。

終わることのないジグソーパズルを、いつまでも作り続けよう。

たくさんの出会いに、感謝を忘れないように。

さあ、今日は何色のピースで世界を変えようかな。

2011年7月1日金曜日

本屋さんに行こう


「日本人であるなら、本屋に行くべきだ」

とは、かの有名な菊池俊平が残した言葉です。

冗談です、すいません。

しかしながら、日本という国にいる以上、本屋に行かないのはもったいないです。

日本というのは、実は恵まれた本屋環境にあると言えます。

「なんでそうなるんだってばよ!?」というナルト君のために、以下に実際のデータをもってきました。

では、先進国アメリカと比較してみます。

・書店数
日本 、アメリカ 
 15,500店、9700店 

・1店あたり(日、米)
カバー面積 24km、1000km
カバー人口 8200人、32000人

・アメリカは日本の25倍の面積だけど、書店数は日本の方が多い

・23区の面積が600kmなので、アメリカは23区の大きさに1店もない


おわかりでしょうか?

日本はアメリカと比較すると、本当に本屋が多い国なのです。

日本人は、たとえば学校や会社の帰りに、駅ビルにある本屋さんにふらーっと寄れます。

それが常識です。

しかしアメリカの場合、本屋というのは休日に車で出かけるものです。

これは、文化の違いと言えるでしょう。

……

僕は、本が好きで、本屋さんも好きです。

忙しくない時は、毎日横浜駅の本屋さんに行ったりします。

特に何を買う、という目的があることは少ないです。
なんか気になった本をさーっと立ち読みしたり、欲しくて欲しくて仕方ない本が見つかった場合、お金を出して買います。

なにより、本屋さんの空気が気持ちいい。

……

僕は今、読書を勧めているのではありません。

「本屋に足を運ぶこと」

を、もっとみんなにやってほしい。

でも、本屋に行くとどうなるの?

っていうあなたに、本屋さんを活用するポイントを僕なりにまとめてみました。

1、流行りの小説をチェックする

2、なにやらスゴイ人が書いた、生き方の秘訣的な本の秘訣だけを読んでみる

3、詩集や写真集などの文芸を見てなごむ

4、気になる新書の、前がきと後がきを読む

5、色んな仕事をしている人が本を出しているので、気になった人の本を読んで色んな仕事を垣間見る

など。
本の読み方については、また今度書こうと思います。

個人的には、いつも筆者紹介のところを読んでしまいます。

「こんないい大学行ってたのに中退して、それで今はこんな仕事してるんだー」

とか、

「すごい大手企業に勤めてたけど辞めちゃってフリーで仕事してるんだ」

とか。

おもしろい発見がたくさんあって、楽しいですよ!

2011年6月27日月曜日

1と0.999…の間に存在する数字

さっそくみなさんに問題。

①0.999… =1
②0.999… ≠1

この2つの内で、正しいのはどちらでしょうか。
少し自分の頭を使って考えてみて、答えを出してください。

……

僕の勝手な予想だと、②を選んだ人が多いと思います。
なんとなくですが。
僕は中学生か高校生のころ、ある本を読んでいるときにこの問題と出会い、
数学の奥深さを知り、とても数学を好きになったのを覚えています。

この問題、実際の答えはどうなるのでしょうか。

では、数学が苦手な方にも分かるように簡単に答えを導きます。
まず、ひたすらに数字が書かれた数直線をイメージしてください。
数直線における数の性質で、

「a<b ならば a と b の間に数が存在する」

というものがあります。
このとき、0.999…と1が同じでないとすると、その間には
0.999…< X < 1
なるXが存在することになります。
しかし、そのような数Xというのは存在を証明できません。

よって
①0.999…=1
が成立するので、理論的には①が正解。
他にもたくさん証明方法はありますが、一番簡単な方法を見せました。
もしかしたら理系の人はカンタンだったかもしれません。
もっと詳しく知りたい人は、google先生に聞いてみましょう。

……

僕がこの事実を知ったのは前述の通り、たしか中学生か高校生のときで、
子ども向けの数学の本(博士の愛した数式みたいな)を読んでいたときでした。
それを読んだとき、とても腑に落ちない思いをしたのを覚えています。

0.999…は、小数点がついているんだから、確実に1より小さいじゃないか、と。
同じわけないじゃないか、と。
そんな考えても考えても到底わからない問題を、うーん、と考えるのが好きでした。

そして流れる月日の中で、いつのまにか、
そのような問題があったことすら忘れてしまいました。

……

最近僕が読んでいた講談社新書の「無限論の教室」のなかで、
またその議論が出てきました。
つまり、1=0.999…なのか、はたまた違うのか、というものです。

その本は新書なのですが、登場人物がそれぞれ話し合う形式になっています。
その中で、0.999…=1であると習った、と主張する学生に対して、博士は言います。

「私は、それには反対です。
0.999…と例えば9が百万回続いたとして、それは1に等しいですか。
それは1に限りなく近いですが、1ではありません。
君は実無限派。
私は可能無限派です」

どうやら、「無限」には実無限派と可能無限派が存在するらしい。
その実無限派とは、簡単に言うと、無数の点によって線分ができるという解釈。
それに対して可能無限派は、あくまでも可能性として無限を考える。
線分を切断すれば点が取り出せ、そしてそれはいつまでも続けていける可能性がある、
そういう解釈です。

とても概念的な難しいところですが、僕がここで言いたいのは、
「1≠0.999…と考えることもできる」
ということです。

……

博士の言うことが正しかった場合、先ほどの数直線の考え方を用いると、

「1と0.999…の間にはある数が存在する」

ことになります。
しかし、実際にはその数は数直線上には見えてきません。
目には見えないけれど、存在しているのです。
学生には見えなかったけれど、博士には見えているのです。

……

僕たち人間は、目に見えるものだけを信じようとしがちです。
特に今の若い人たちには、想像力が欠けているように思います。

ある被災地ボランティアに行った友人が、こんなことを言っていました。

「俺は被災地に行くのは初めてじゃなかったんだけど、
今回行ってみて感じたのは、ボランティアの質が下がっているということ。

ある大学生のボランティアさんがこう言っていた。

『思ってたより、ひどくないじゃんか』

彼は、そこまで復興するまでにどれほどの人が頑張ったのかを、
想像することができないんだ」

……

また、こんなこともありました。
僕がいま活動している環境NGO(以下アシード)に、
この春から韓国人の女の子が入ってきました。
その女の子は独学で日本語を勉強し、数ヶ月前に日本に一人でやってきて、
今はアルバイトをしながらアシードでの活動もしています。

アシードで先週末、新潟県に合宿に行きました。
その合宿の主な目的は二つあります。
一つはこの夏に活動するフジロックの現場を下見すること。
もう一つは、これからこのメンバーで活動するうえで、みんなに本音を話す場を設けることです。
後者の方は、大きな部屋でみんなが輪となり、一人につき五分程度時間を与えられ、
それぞれが好きなように想いを話します。
夜中6時間ほどかけて行われ、「スピリッツ共有」と呼んでいます。

その合宿の帰り道、その韓国人の女の子と、二人で話す機会がありました。
彼女は合宿で感じたことを教えてくれました。

「この合宿にきて、ここが日本なのか韓国なのか、わからなくなってしまったの。

うまく言えないけど、スピリッツ共有で、みんなの言ってることは全然わからないのに、
なぜか涙が出たんです。

言葉がわからなくても、みんなの気持ちは、伝わったんです」

東横線で熱心に、完璧ではない日本語で伝えようとしてくれる彼女。
うんうん、と頷きながら、僕は考えていました。
(僕と彼女の間に、本当に国境があるのだろうか?)

僕はそれまで、外国人との間に無意識に線を引いていました。
少なくとも外国人に対して、日本人と同じように接することはできなかった。

でもその夜に行われたスピリッツ共有は、想像力がいくつも重なって、
おそらく国境をも超えたんだと思います。
彼女も僕も、たとえ国籍は違ったとしても、一人の人間だったのです。

……

なぜ、無責任な発言をするのか。

なぜ、優しくなれないのか。

なぜ、いじめがあるのか。

なぜ、戦争をするのか。

それは、想像力が足りないから。
もっと想像して、もっと認め合うことができれば、平和に近づくことができるはず。

……

では、想像力とはなにか。

それは、

「1と0.999…の間に、いくつもの数を描けること」

だと思います。

博士のように、見えない数字を見ようとすることです。

心に存在する国境は、想像力があれば、なくすことができる。
僕たちに今必要なのは、そんな想像力。

あの人を、あの場所を、あの時間を、心の目でそっと見つめてみてください。
それはきっと、難しいことじゃないから。



2011年6月19日日曜日

いつかの特別を、最高の味わいで。

中学生のとき、おもむろに父親の書斎を漁って、「海辺のカフカ」を読んでみたことがある。

僕はその頃、他の友人と比較しても人並みかそれ以下の読書しかしたことがなく、ましてや小説なんて敷居が高いものと勝手に思っていた。

父親の書斎には昔から実にたくさんの本があったのだが、僕が「海辺のカフカ」を手にとったのは偶然ではなかった。

それは言わずと知れた村上春樹の代表作で、中学生の僕でも名前を聞いたことがあったらしく、さらに「15歳になった僕は二度と戻らない旅にでた」のようなキャッチフレーズになんだか惹かれ、手にとったのだった。

そして、わずか10ページで挫折した。

……

春樹の小説は文体が独特で、異端の部類に属するものだと思う。
中学生の僕は、その独特の文体に、拒否反応が出た。

「だいたい、『カラスと呼ばれる少年』なんて、大人の娯楽である小説の登場人物として適切なのか…?」
それはあるいは、小学校の教科書に載っていてもおかしくないような錯覚を覚えたのである。

そのあと、書斎にあった伊坂幸太郎のチルドレンを手に取り、彼の作品の虜になり、小説というものにどっぷりハマっていったのを覚えている。

そして、村上春樹からはしばらく距離を置くことになった。

……

その数年後、僕はおもしろい体験をする。

大学生になった僕は、久しぶりにもう一度、「海辺のカフカ」を手に取り、読んでみた。
どうせつまらないだろう、と思いながら。
映画化されて話題になったノルウェイの森を読んで、春樹のほかの作品も読んでみたくなったからだ。

するとどうだろう。

面白くて、ページが止まらない。

みるみる物語に吸い込まれ、あっという間に読み終わった。

「これは日本の文学を代表する作品だ」
生意気ながら、僕は本当にそう思ったのである。

……

その変化の理由は、「正統派の経験」にあると思う。

中学生から大学生になるまでの何年もの間、伊坂幸太郎や石田衣良、重松清に恩田陸といった、いわゆる「正統派の小説」をたくさん読んだ(ここで僕が定義する正統、異端は説明をわかりやすくするためほ便宜的なものであって、文学的に必ずしもそうなわけではありません)。

正統派を経験することで、異端への免疫ができ、それが異端たる所以や、それならではの奥深さを理解できるようになる。

普通を経験しないと、特別の本当の良さなんてわからない。

そういう当然と言えば当然のことを、僕は身をもって実感した。

……

この法則が一番当てはまるもの。

それは、恋愛です。

「草食系男子」という単語が日常的に使われるようになって久しい。
僕の周りでも、異性と付き合っていない人は、男女別なく多い気がする。

その多くの理由は「理想的な異性がいない」というもので、彼らの中にはどうやら「私のことを絶対的に幸せにしてくれる誰かが、いつか目の前に現れる」と信じてやまない人がいる感じもする。

まずは、目の前の異性を見つめてみよう。

付き合わなくたっていいから、一回でもデートしたりお茶したりすれば、その子の服装、しゃべり方、どんな食べ物が好きか、どんな人生を送りたいのか、などの情報が得られる。
なにより、それらの発見はたいていの場合、楽しい。

いつかやってくる「理想の恋人」が目の前に現れたら。

その時は、それまでの普通のデートで培った経験を駆使して、なんとかモノにしようじゃないか。

最高のデザートを食べるために、まずは普通のアイスクリームを味見して、その日のためにじっと備えましょう。


最後に、尊敬する石田衣良さんの言葉をお借りして。

「恋のメガネは焦点を甘く」

2011年6月16日木曜日

昔のボーイフレンド

 武弘との一年半ぶりのセックスは、なんだかぎこちなかった。身体は記憶の中にあるとおりなのに、反応がどこかずれてしまっている。タイミングが微妙に狂っているし、それがお互いにわかっているから、その最中におかしな焦りが生まれてしまった。
 武弘は以前にも増してがんばってくれたが、結局はるかはその夜エクスタシーを迎えることはなかった。それでもはるかは十分満足だった。こうした行為は、繰り返していけば自然にただしい形やタイミングが見つかるものである。武弘との相性は六年の永い春のあいだに確認ずみだった。

 真夜中をすぎてぐったりと眠りこける武弘の横顔を、はるかは頬杖をついて見ていた。何度も頭に浮かぶのは、なぜこの人だったんだろうという疑問である。武弘は低いいびきをかき、うっすらと口を開いて眠っている。

 そのときはるかが考えたのは、世の中にいる無数の男たちのことだった。この人だってうちの会社の同僚のように、私以外の人にはずいぶんいいかげんなところがあるのかもしれない。でも、武弘はわたしにはいつだっていい人だった。わたしが最大限に困っているときには、なぜかいつもそばにいてくれた。きっとこの昔のボーイフレンドはそういうめぐりあわせの人なのだ。そう思うとなぜか涙がにじんできた。はるかは新しいベッドカバーの端に、そっと涙を吸わせた。

 人の気も知らずに、武弘のいびきがのんきに高くなった。はるかは手を伸ばして、芯の硬い男の鼻をつまんだ。息ができなくなったようで、しばらくもがいてから苦しげに武弘が目を覚ました。はるかの手を払いのけていう。
「なんだよ、殺す気か」
はるかは荒い息をする武弘の頬にキスをして、耳元でささやいた。
「だっていびきがうるさかったんだもん」
はるかはほかにももっと伝えたいことがたくさんあった気がしたが、そのまま抱きついているうちに言葉は涙になって流れてしまった。武弘は黙って抱きしめていてくれる。この人はそういうことが無理なくできる人なのだ。
 
 明日は一日なにをしよう。十八カ月ぶりにふたりですごす日曜日に、はるかの胸はときめいた。もうすぐ朝がくるだろう。

by 石田衣良 1ポンドの悲しみより

……

短編小説って、苦手な人が多いと思うのだけれど、僕はすきです。
むしろ長編小説よりもすきです。

あっさりしてて、シュワっとしてる。
読書というよりも、音楽を聴く感覚に近いかもしれない。

トリックを楽しむというより、読んでいる瞬間をたのしむもの。
それが短編小説。

今回は石田衣良さんの作品を引用させていただきました。
「ネタバレじゃないか!」
と言うひと、短編小説にネタバレはないのです(持論)。
この「1ポンドの悲しみ」という小説には
ほかにもたくさんの素敵な短編があるので、ぜひ読んでみてください◎

短編小説のすすめでしたー

2011年6月14日火曜日

たくさんの夢

たとえば、サッカー選手になりたい少年がいたとする。
彼は、夢のために毎日練習する。
学校の勉強はどうでもよかった。
テストで100点をとるより、試合での1点をとりたかった。
彼は毎日ボールを蹴って、だから、いつの間にかチームメイトの中で1番うまいプレイヤーになっていた。

しかしある日、彼は気づく。

「僕がサッカー選手を目指したところで、結局なれるわけないんだ」

それは県大会の優勝を逃した時かもしれない。
弱小チームを相手に引き分けてしまった時かもしれない。

いずれにせよ、彼は気づいてしまったのだ。

……

人は誰だって、一度くらいでかい夢をもつものだ。

「歌手になりたい」

「メジャーリーグに出たい」

「ノーベル賞をとりたい」

「ミリオンセラーの小説を書きたい」

「大企業の社長になりたい」…


その夢は、とてつもなくデカい。

誰かに話すと笑われることもしばしば。

だから人はいつしか、自分の夢を小さくしていく。
小さく、より小さく。

それは悪いことじゃない。
むしろ、現実に即した合理的なことだ。

でもその中で、忘れてしまったことはなんだろう。

……

大地震が日本を襲い、何人もの命が奪われた。

この文章を読んでくれてるヒトは、幸いにも生きている人達のはずだ。

亡くなったたくさんの命。
その中には、まだ小さくできないままの、でっかい夢がいくつもあったはずだ。

僕らは、たくさんの奪われた夢を、叶えるまではいかなくても、想像してみるくらいの義務があるんじゃないかと思う。

もしかしたらその中で、叶えることができる夢があるかもしれない。

そのくらいの奇跡はあってもいい。

僕たちが気づかぬ間に小さくしてしまった夢を、思い出してみよう。

……

まだ被災地へ脚を運べていない僕が、こんな偉そうなこと言えたもんじゃないけど。

それでも、東海道線でふと思ったことを書いてみた。

早く被災地をこの目で見ないといけない。

夏休みになってしまうかもしれないけど、日本人として、一人の人間として、絶対に行きます。

2011年6月9日木曜日

ブログの再開

えー。
今まではJUGEMのサービスを使って細々とブログを展開してきたわけですが、
そちらはほとんど更新しなくなってしまいました。

理由は明白です。

「ブログがかっこよくない!!」


個人的に、アメブロとかやるのはなんか嫌だったので、
頑張ってブログを作ってみました。

シンプルさを追求!
なんか読みたくなっちゃうデザイン!
そんな感じをコンセプトに作りました。

なんだか我ながらよくできたので、これなら三日坊主のきくち君でも続けられそうです。


このブログの目的は主に3つ。

1、自らの思いを文章にまとめる訓練をする

2、ツイッターでは短すぎて収まらない思いを発信する

3、「続ける」ことを訓練する

……

1、自らの思いを文章にまとめる訓練をする

二十歳である僕はこれからあと60年くらい生きていくわけですが、そのために必要なスキルはなんでしょうか。
それは確実に、「書く」スキルであると思います。
もちろんほかにも必要なスキルはたあくさんあります。
しかしその中でも、「書く」というのはとても重要なスキルです。

大学生である身からすれば、たとえばレポートや論文を書くとき。
教授を「これは!」と唸らせるのは、コピペの技量ではありません。
それは、説得力ある文章を書くスキルです。
説得力ある文章は、「書いたろっと」と思って、気楽に書けるものではないのです。
日頃書く訓練を積むことで、着実に身に付けることのできる力だと思います。

またそれだけではありません。
就活の時のエントリーシートや、入社後も企画書や報告書の作成など、大学を卒業してからもさまざまなところで「書く」スキルは問われるでしょう。

「書く」ことは、自分の思いをまとめる練習にもなります。
自分が抱いている複雑な思いを文章にすることで、自分の思いがコトバになります。
この思いをコトバにする能力というのは、非常に重要です。
これができない人は、流されるままに人生を送ることになりかねません。
逆にこれができる人は、自分で道を切り開いていけるでしょう。


2、ツイッターでは短すぎて収まらない思いを発信する

僕はツイッターが大好きです。
自分の思いを好きなように発信できるから。

僕とツイッターとの出会い。
僕は書くことが好きでした。
そして、目立ちたがり屋でした。
「自分が考えていることを、もっと他人と共有したい」
そんな思いが常にありました。

そんな僕に、ある友人がツイッターの面白さを教えてくれました。
「これ、ぜったい俊平向きだよ!はまるよ!」
そんなわけねぇって…やれやれ。
そんな思いは1日で吹き飛び、僕は彼女の術中にはまり、そしてツイッターの虜となりました。

自分の思いをこんなに手軽に発信できるなんて…
それは、僕にとって、とてもすごいことでした。
ツイッター創業者のことを心から尊敬しました。

しかし、徐々に不満も生じました。
140字じゃ物足りないのです。
連続ツイートをすると友人から「つぶやきすぎだ!」みたいなお叱りの言葉を受けるので、僕は次第に萎縮していきました(うそ)。

まあ、そんなこともあって、ブログを始めたいな、と思ったわけであります。


3、「続ける」ことを訓練する

僕は三日坊主です。

嘘をつきました。

僕は一日坊主です!!!!どーん
何をやっても続かない、それが菊池俊平です(サッカーは12年間続きましたが)。

とにかく飽きっぽいのです。
ピアノもバイオリンも水泳もギターも中途半端なところで投げ出しました。
とにかく、飽きっぽいのです。

これはまずい、そう感じました。
僕には持久力がない。

しかしある考えが生まれました。
「好きなことなら続けられるのでは…?」
そしてそれはすでに、サッカーが証明してくれていました。

僕は書くことが好き(なはず)です。
なのでこのブログも続けられる(はず)です。


テーマを持つと、それに縛られて書くのが嫌になりそうだったので、とりあえずはブログのテーマは決めていません。
ですが、読者の皆様になにかしら「気づき」を与えられるように頑張ります。

書く頻度は未定ですが、最高週に1回、最低月に1回くらいかなぁ、とぼんやり考えています。
まあ、続けることを第一の目標に。
心強いファンのみなさんがいれば、このブログは大学卒業まで続くはずです!

興味を持ってくれた方は、ぜひ応援よろしくお願いします。
ではまた。