2011年6月14日火曜日

たくさんの夢

たとえば、サッカー選手になりたい少年がいたとする。
彼は、夢のために毎日練習する。
学校の勉強はどうでもよかった。
テストで100点をとるより、試合での1点をとりたかった。
彼は毎日ボールを蹴って、だから、いつの間にかチームメイトの中で1番うまいプレイヤーになっていた。

しかしある日、彼は気づく。

「僕がサッカー選手を目指したところで、結局なれるわけないんだ」

それは県大会の優勝を逃した時かもしれない。
弱小チームを相手に引き分けてしまった時かもしれない。

いずれにせよ、彼は気づいてしまったのだ。

……

人は誰だって、一度くらいでかい夢をもつものだ。

「歌手になりたい」

「メジャーリーグに出たい」

「ノーベル賞をとりたい」

「ミリオンセラーの小説を書きたい」

「大企業の社長になりたい」…


その夢は、とてつもなくデカい。

誰かに話すと笑われることもしばしば。

だから人はいつしか、自分の夢を小さくしていく。
小さく、より小さく。

それは悪いことじゃない。
むしろ、現実に即した合理的なことだ。

でもその中で、忘れてしまったことはなんだろう。

……

大地震が日本を襲い、何人もの命が奪われた。

この文章を読んでくれてるヒトは、幸いにも生きている人達のはずだ。

亡くなったたくさんの命。
その中には、まだ小さくできないままの、でっかい夢がいくつもあったはずだ。

僕らは、たくさんの奪われた夢を、叶えるまではいかなくても、想像してみるくらいの義務があるんじゃないかと思う。

もしかしたらその中で、叶えることができる夢があるかもしれない。

そのくらいの奇跡はあってもいい。

僕たちが気づかぬ間に小さくしてしまった夢を、思い出してみよう。

……

まだ被災地へ脚を運べていない僕が、こんな偉そうなこと言えたもんじゃないけど。

それでも、東海道線でふと思ったことを書いてみた。

早く被災地をこの目で見ないといけない。

夏休みになってしまうかもしれないけど、日本人として、一人の人間として、絶対に行きます。

1 件のコメント:

  1. 記事の通り、たくさんの夢たちが消えていってしまったでしょうね。
    私たちがそれを想いながら過ごしていくことは、何かを変えるかもしれないし、変えられなくとも私たちが変わるかもしれないね。

    ただ、いま、生きているひとの夢ってどうだろうね?死別を経験すると、全てがどうでも良くなっちゃうんだ。それでも生きていかなきゃいけない。夢?そんなものない。亡くなったあの人に会いたい。あの人のところにいきたい。がんばってるよ。もうこれ以上がんばれないよ。なのに生きなきゃいけない。
    なんだよ?なにも無くしてない人間が。頑張ろう頑張ろうって。何がわかる?分かったつもりなんかやめてくれ。

    テレビには写らなくても、他人にそんな愚痴はもらさないひとも、必ずそう思いながら、いまを必死に生きてるし、生きるので精一杯だと、おもうんだ。

    だから死別した方々と付き合っていくには、自分の気持ちを間違っても押し付けちゃいけないし、見返りを求めず、根気よく支えていく覚悟がいるんだ。そこまでしなきゃ助けにならないしね。人が死ぬという現実は、夢がうんぬんなんていってられない。

    死んでいった方々の夢に想いを馳せるのと、いま生きている被災地の方々のことを考えるのは別のことじゃないかな、というのがあたしの考えです。^^

    いま生きている被災地の方々へ、何か思いついたことがあったら、その時はまた記事にして下さいな。

    ぶろぐ応援してるよー★

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