電車の中があまりにも暇だったので、ショートショートを書きました。
一応、「あの子は可愛い女の子」の続編です。
まだ読んでない人、忘れちゃった人は、そっちから読んで頂けるとありがたいです。
「あの子は可愛い女の子」
それではどうぞ。
……
まだ小学生だった少年は、公園で、たしかにその男を見た。
雨を降らす男。
男はなぜか、ステッキを持っている。
いや、なぜかではない。
ステッキを振ると、雨が降るのだ。
それは、ややもすると非科学的な響きを持つ。
しかし少年にとっては、科学的だとか、非科学的だとかいうことは、 特別勘案される事項ではない。
己の知的好奇心を満たし得るか。
それだけが、幼い彼の判断基準だった。
そして、その男が雨を降らしている所を、少年は見てしまったのだ。
「少年よ」
男は言った。
「なぜ、私が唐突に雨を降らせるのか、わかるかい」
静かな声だった。
何もかも、悟っているかのような。
いや、あるいはこの男は、 何もかもを知っているのかもしれない。
恐る恐る、少年は答えた。
「…乾いた日常に潤いを与えるためですか?」
男は一度、小さく頷いた。
「いい線をいっているな、少年。たしかにそれもある。
だが本当の理由は、時として雨が、思わぬ愛を生み出すことがあるからだ。
それはそう、まるで稲妻の後にかかった虹のように」
男は、手にもっていたステッキを、東の空に突き出した。
華麗な動作だった。
「ほら、あそこにもきっと、愛が生まれた」
少年は、遠い空にかかった、七色のアーチを見た。
……
二件目のバーを出ると、外は豪雨だった。
「こりゃ、止みそうにないな」
ケンキが言う。
私がそれに頷く。
たしかにやばい雨だ。
やばい、という形容詞が相応しい。
遠くで雷鳴すら聞こえる。
ここは丁度屋根になっているけど、歩道へ出たらたちまちびしょ濡れだろう。
「もうちょっとあの店で時間潰してもよかったな。
つっても、そしたらサヤカが終電逃すか」
そうだ。
私が終電に乗るために店を出たのだ。
とはいえ、終電まであと20分。
けっこうやばい。
今日は、やばいことばかりだ。
「私、折りたたみ傘なら持ってるけど…
でもこの雨じゃ、絶対壊れるよね」
ケンキは何も答えない。
何かを考えているような感じがする。
ケンキは何を考えているんだろう。
結局、何で私をバーに誘ってくれたのかは聞き出せていない。
私の顔がタイプだった?
もしかしたら、 って柄にもなく自意識過剰になってしまう。
それとも彼は、私の身体を求めているのだろうか。
私はまだ男の人を知らない。
男の人が持っている、本能。
本能が、女という理由で、私を選んだ?
わからない。
元々難しそうな問題な上、酔った頭だから、何にもわかんない。
そして、私は、何を考えているんだろう。
きっと、嬉しかったんだろうと思う。
男の人に、誘ってもらったのが。
ばれないように、ケンキの横顔を眺める。
やっぱり鼻が高くて、きっと、イケメンの類に入る人だと、今さらながら思う。
背はそんなに高くないけど、この先女の子には困らない顔立ちだ。
そして同時に、何故かは分からないけれど、寂しそうな温度を彼から感じる。
「あっ」
ケンキは小さく声を上げた。
彼は右手をあげている。
なんだろう、と思ったら、タクシーが止まった。
「今日は、うちに来なよ。
電車止まっちゃうかもしれないし」
彼の視線が、真っ直ぐに、 私を捉えた。
思わず胸がドキっとしたのが、自分でもわかった。
「え、家近いの?」
彼の顔は、飲み会の時からずっと、少し赤いまま。
「近いって言えば、近い。
ほら、飲み会のとき愛知出身って言ったじゃん。
だから今はこっちで下宿してるの」
そう言いながら、彼は開いたタクシーのドアの方へ手を差し出した。
「ほら、乗って」
断れる雰囲気ではない。
そして、断る気持ちもさっぱりないように思えた。
私は、どこか秘密の世界に足を踏み入れるかのように、タクシーへ身体を滑り込ませた。
……
公園で出会った不思議な男は、もう一度、少年の方を向いた。
「少年は、恋をしたことがあるのか」
やはり、静かな口調である。
男の年齢は、外見からは判断できない。
しかし少年は、別に構わない。
その男が20歳だろうと50歳だろうと、あるいは100を超えたおじいさんであろうと。
「それは…つまり、好きな人がいるかってことですか?」
少年は、言葉を選んで聞き返す。
好きな人なら、いる。
ただ、それが恋をしているのかどうかは、彼自身にもわからないことだった。
ごほん、と男は咳払いをする。
自然な咳払い。
男の雰囲気は、どこか少年を飲み込むようだ。
「そうではない。
好きになることと、恋に落ちることは違う」
そこまで言うと、 男は少年の目をしっかりと見据えた。
「でも君は、私に出会えたから幸せな人間だ。
私に出会った人間は、恋に落ちる瞬間がわかってしまうからな」
言ってることが、少年にはよく飲み込めなかった。
それは、彼があまりにも幼かったこと、男の言葉があまりにメタフォリカルだったこと、という二つの理由による。
「…どういうことですか?」
男は、視線を動かさない。
そしてこう言った。
「つまり、雨なんだ。
全ては、雨からはじまる。
逆に言うと、私と出会った人間は、雨からしか恋は始まらない」
最後まで何が言いたいのか、その頃の少年にはよく分からなかった。
彼はそのまま、男の言葉とともに生きていくことになる。
中学生になったとき、彼は若干の疑いを持ち始めた。
そして、高校生になって、人生で3番目の彼女ができたとき、彼は確信した。
雨が降らないのだ。
彼が女の子とデートをする日は、絶対に雨が降らないのだ。
もちろん、それはカップルとしては喜ばしい限りである。
でも、デートの度に、いつもあの男の言葉が蘇った。
(きっと、この女の子じゃない)
からっからに晴れた空を見上げながら。
隣の女の子と手を繋ぎながら。
いつも、少年はそう思っていた。
……
タクシーを降りると、雨は小降りになっていた。
私が差し出した傘を、ケンキが手に持ち、2人で入る。
コンビニで、お茶とアクエリアスを買ってから、ケンキの家へむかって歩く。
お互いに何もしゃべらない。
でも、それは気まずい雰囲気とは違った。
ケンキが右側にいると、私はなんだか安心した。
なんだろう。
彼に触れたい、 のかもしれない。
そしてその欲求は、これからあっけなく叶ってしまうのかもしれない。
それはもう、十二分くらいに。
そんなことを考えていたら、「ピロリン! 」と私のアイフォンが鳴った。
のんのんからメールがきていた。
(サヤ、カラオケで全然見なかったけど、どこいるのー?
私は先輩の家に泊まりにいくんだけど、サヤも一緒にいかない??)
「メール?」
ケンキが私に尋ねる。
「うん。だけど、後で返すから大丈夫」
私はその時初めて、親友を無視する勇気を覚えた。
私はもう、のんのんに縛られて生きる女の子じゃない。
私は私。
これから私だって、あなたに負けないくらい幸せになるんだから。
……
高校を卒業した少年は、そして、 大学生になった。
一年間の浪人を経たのにも関わらず、志望校には落ちてしまった。
予備校生の時、彼は人生で4番目の彼女ができた。
あの時彼女なんて作ったのが間違っていたのかもしれない、と彼は今さら考えている。
とにかく頭がいい女の子だった。
そのくせ、可愛かった。
だから予備校でも断トツにモテていた。
自尊心が高かった彼は、もちろんその女の子をデートに誘った。
そして、2回目のデートで、彼女を物にした。
もともと彼は、整った顔立ちをしていたから、落とす自信はあったのだ。
しかし、いざ彼女と付き合ってから、彼は辟易した。
何回デートに行っても、雨が降らなかったから。
雨が降らない限り、彼が女の子に恋をすることはない。
(でも、いつか降るんじゃないか…?)
その望みを、ずっと彼女に託していた。
その望みを、ずっと彼女に託していた。
しかし、彼女とのデートで雨が降ることはなかった。
そのままずるずると、受験が終わるまで付き合ってしまった。
一年後、彼女はK大に合格し、彼はそこに落ちた。
そして程なくして、フラれた。
彼に悲しさはなかった。
彼女に恋をしていないことは、自明だったからだ。
少年は大学生になってからも、男の言葉の意味を考え続けた。
もしかしたら、あの男は、ただの普通の人間だったのではないか。
普通の男が、小学生を可愛がるつもりで、からかっただけなのではないか。
どう考えても、そっちの方が自然だ。
そして、科学的だ。
しかし彼は、男の存在をなぜか否定できなかった。
大学生になった彼は、新歓のイベントにたくさん参加した。
自分がこれから恋をする女性を探すためだ。
しかし、外見から女性を眺めても、何もわからない。
ヒントが何もない。
もう諦めようかと思ったところで、ついに現れた。
いや、本当に彼女がその人間であるのかは分からなかったけど、彼女が飲み会の席で発した一言を、彼は信じようと思った。
「私、雨女なんですよね」
その女の子は、サヤカと名乗った。
……
目を覚ますと、私はベッドにいた。
左側に温かい温度を感じる。
私の横で、ケンキが寝ていた。
彼はすやすやと寝息をたてている。
彼の、筋肉が少しついた上半身が露わになっていたので、そっと布団をかけてあげた。
そして、私の好きな横顔をしばらく見つめた。
満足したところで、私は、鉛のように重い身体を持ち上げる。
どうやら、結局一晩中降り続いた雨は、やっと止んだらしい。
朝の7時前。
小鳥のさえずりが聞こえる。
ここは都内のマンションの6階だ。
最上階。
部屋は広くないけど、とても綺麗だった。
ワンルームの部屋に、ベッドと本棚しかない。
引っ越したばかりで、まだ何も買ってないのだろう。
一通り観察を終えると、私はベッドから出て、バルコニーへと歩いた。
そして扉を開けて、バルコニーへと出た。
雨は止んでるけれど、外は少し湿っぽい。
でも、太陽は出ている。
6階からの眺めは、なかなかいい。
都内とはいえ、都心から外れたところだから、あまり高層の建物がないのだ。
まだ街は、動き始めていない。
私は、考える。
彼をうまく愛することができるかどうか、と。
最後のヒトではないのかもしれない。
でも、最初のヒトがケンキでよかった。
そう、心から思った。
……
彼が目をさますと、隣で眠っていたはずの女性がいなかった。
(全部夢だった…?)
彼の漫画じみた妄想は、バルコニーに女性の姿を発見して消え去った。
身体を持ち上げる。
お酒に強くなかった彼は、自分の頭が痛いのを認めた。
バルコニーに向かって歩く。
どうやら、雨はやっと上がったらしい。
「コーヒーと紅茶、どっちがいい?」
彼はそこにいた女性に尋ねた。
「んー、コーヒーかな。まだ眠いから。
ねえ、それより、虹が出てるよ!ほら、あそこ」
彼は彼女が指差した、東の空に顔を向けた。
19才の少年は、遠い空にかかった、七色のアーチを見た。