2012年12月5日水曜日

芸術を馬鹿にしたくない


どうやら僕は、一ヶ月以上ブログを更新していなかったらしい。
「らしい」と書いているが、確信犯である。
「書こうかな」と思うことも多々あったが、書かずにいた。

書かなかった、そのことに明確な理由はない。
嘘である。
理由がある。

けど、その理由は書かない。

シット。
非常にバカバカしい理由だからだ。

……

メモ帳を読み返す。
そこには、ブログに書こうと思っていたことが、断片的に綴られている。
思考の欠片である。

「量より質だと思いながら、質より量を重視する」

「周辺視野で君を見る」

「今にして思えば先輩として能う限りの特権を濫用し、それこそ万策を尽くして彼女を籠絡したのであった(太陽の塔より引用)」

「偽善事業 やらないよりは 善だよね」

「友達の友達と、友達になろうと思わなくなった」

なんなのだこれは、と思う。
なぜ、俳句が書いてあるのか、自分でもわからない。

とはいえ、僕はまたこうして筆を取っている。
パソコンをカタカタ打っているだけなのに「筆を取る」というのも妙な言い方である。

インソムニア。
丑三つ時に、回らないアタマで、書く。
支離滅裂にならない程度で、とりとめのないことを書くつもりである。

……

芸術に、救われることがある。
例えば、一枚の絵画に。ひとつの音楽に。

救われた経験というのは、彼にとって様々な意味を持つ。
エバーラスティング。
続いていく。
その音楽に救われたという経験、記憶は、後まで続いていく。

僕にとって、ある小説がそうだった。
浪人、いや、仮面浪人していた頃に出会った小説に救われたのである。

……

「太陽の塔」という小説だった。
作家は森見登美彦。彼のデビュー作である。
京都に通う大学生の、他愛もない記録が、もう少し正確に言うと、一人の女性にフラれながらも彼女の研究を続けながら思い悩む記録が、ただただ詳細に綴ってある小説である。

なぜその小説だったのかはわからない。

ただ、僕はその小説を手にとった。
浪人期の、最も辛い時期だった。
コインシデンス。
偶然の一致、だと思う。

なぜその小説に惹かれたのかはわからない。

ただ、僕はその最後の十数ページが好きだった。
何回も読み直した。
エバーラスティング。
勉強が辛くなったら、手を伸ばしていた。

……

その小説に、こんな一節があった。


今にして思えば先輩として能う限りの特権を濫用し、それこそ万策を尽くして彼女を籠絡したのであった

僕は、なぜかこの一節が好きだった。
彼は、森見登美彦は、尋常ならざる語彙の持ち主だった。
そして、僕はこの小説で「籠絡」という言葉を覚えた。

籠絡:巧みに手なずけて、自分の思いどおりに操ること。

そうなのだ。
籠絡という響きに惹かれたのだと思う。

僕は、この小説を、受験期に10回は読んだ。

読むたびに元気が出て、なぜか知らないけど、何回読んでも涙が出た。

インソムニア。
不眠症が襲いかかるような時。
そんな時に、やはり、僕は救われたのだ。

……

僕は今、国際学生シンポジウムというディスカッション団体で活動している。
この団体が好きな理由は、まあいくつもあるんだけど、決定的なものがある。

僕は、自分に合った団体を探していた。
夏だった。
それまで所属していた団体が、なんとなく馬に合わない感じがして、フラフラしていた。
そんな夏だった。

「だったら、お前が籠絡しちゃえばいいじゃんか」

とあるメンバーの発言だった。
初めて参加したミーティング後の、飲み会の席だったと思う。
僕は、生まれて初めて「籠絡」という言葉を口にする人を見た。

その言葉が、僕にとって特別な意味を持っていたことは、言うまでもないと思う。

僕は、そして、この団体に入る決意を固めた。

……

 エバーラスティング。
優れた芸術との出会いは、その後もずっと続いていくものだ。

絵とか音楽とか小説とか映画とか。
そういうものって、大事だ。

実学的じゃないことの方が、人生の方向を、明確に定めてくれることもあるのだから。

芸術を、馬鹿にしたくないと、僕は思う。


2012年10月24日水曜日

ゆとり教育だったとか言って甘えてんじゃねぇぞ

生ぬるい秋が終わろうとしている。
僕にとって、秋は毎年メタフォリカルであり、何かしらの示唆を秘めていることが多いのだが、今年はどうやらそんなこともなかったようだ。

いたって平和に秋学期が始まり、僕らは毎日タイクツな授業を受ける。
僕の目の前にはたくさんの学生が広がる。
そう、ゆとり教育の弊害を被った、学生である。

……

とあるテレビ番組だった。
正確に言うと、大学の授業で取り扱ったテレビ番組だった。
テーマは「ゆとり教育を受けた学生たちの就職活動」だったと思う。

学生のモデルとして、名古屋大学のAさんを取り上げていた。
Aさんは某有名商社に内定したという。
それからのAさんの活動が取り上げあられていた。

例えば、Aさんは上司と一緒に電車に乗っていた。
取引先に向かうところである。暑い夏の一日だった。
するとAさんは鞄から扇子を取り出し、おもむろにパタパタと扇ぎはじめた。

上司は言う。
「おい、上司の前で偉そうに扇子を使うな。そんなことも習ってないのか?
取引先ではそんなミスするなよ」

Aさんは答える。
「自分、ゆとり教育でしたから…」

……

ゆとり教育は実施した側に責任がある、という言説はしばしば見られる。
無論、正しい。

ゆとり教育は、それを実施した政府に多大な責任があるだろう。
それまでの詰め込み教育を否定し、逆に覚えるべき知識量を激減させた。

若いうちにある程度の知識を詰め込むことは、とても重要なことだ。
それは、単に知識が増えるということを意味しない。
記憶力がつく。深い思考力の基礎となる。
それは、あらゆる学問の土台となる。

若いうちに、様々な知識を意味もなく詰め込むことはとても大切なことであり、ゆえに、ゆとり教育の実施は馬鹿げた政策だったと思う。

……

しかしながら、ここにクレイマーと化した現代人の本質が現れては困る。

クレイマーと化した現代人に少し説明を加える。
経済成長を通じて物質的な欲望を満たした現代人は、主体性を失っていった。
というより、責任から逃げるようになった。
つまり、一般人はクレイマーと化した。

クレイマーは「とにかく誰かがやってくれる」と思っている。
学校の授業に少しでも問題があると、母親たちはその先生に文句をぶつけるようになった。
無料のアプリでも、ちょっとしたバグがあると「糞アプリ」とレビューでけなすようになった。
そういったクレイマーが蔓延るのが現代だ。

……

大部分の被ゆとり教育者もその例にもれない。

「自分たちは被害者だ」と思っている。
私たちは悪くないと。
それをやった奴らのせいだと。

若者の知的好奇心が欠けてきている理由に、この「ゆとり教育だった」という甘えがあると思う。

自分たちに知識がないことを、ほかの誰かの責任に押し付ける。

「私はゆとり教育だったから、数学ができない」

……

甘え、だと思う。

たしかに、政府のせいかもしれないけど、あなたの知的好奇心の低さはそれに起因しない。
もっと、本質的なところにある。
政府も悪いけど、そんなことを言って逃げているあなたも悪いんだ。

だって、もっと勉強すればいい話じゃないか。強制力がないだけで。

……

政府のせいだ、これはあいつのせいだ、あーだこーだ言って逃げるのは簡単だ。

強さが欲しい。未知の領域と対峙する、強さが。

こんな時代だからこそ、あえて自らに知的苦痛を課し、それを乗り越える訓練をしてほしいと願う。






2012年10月12日金曜日

木からリンゴが落ちるように、僕らは恋に落ちる


「an apple」

この世界は無重力に満ちているの。

愛の無重力。うんざりする。

寄り添う二人。たくさんの二人。

愛の無重力に満ちたこの世界で、ニュートンは何を発見したというの?

そんなことを考えていた私に。

あなたが、落ちてきた。

……

わけあって、詩を書いた。
テーマは「恋」。

少し解説を加える。

無重力は、文字通り無重力のことだ。
恋愛に浮かれてふわふわしているということ。
「私」はそういうふわふわした世界にうんざりしていたけど、そこにあなたが現れてしまった。
でも私とあなたとの出会いは無重力じゃなくて、むしろ重力に溢れた確かな恋だった。
そんな感じだ。

……

僕らはいつの間にか恋に落ちる。
友達として見ていたあいつが、いきなり「好きな人」になる。
その瞬間は様々で、その境界が曖昧な場合もあれば、「あ、いま恋に落ちた」と自覚しているケースもある。

人は生きていれば恋に落ちる。
人生の落とし穴のように、それは設置されているのだ。

あるいは、恋に落ちられる。
友達だったやつから「好きだ」と言われる。
その瞬間、彼の頭の中には彼女との出来事が駆け巡る。
「いつ、好きになったのだ?」
彼は分析する。
遡及的にそれを分析しようとし、無理だということに気付く。
すなわち、自覚することはできても、他人のそれを把握するのは難しい。

……

人は浮気を憎む。
倫理に悖るという。
しかし、誰にとっての倫理なのだろう?

彼はわからなかった。
彼は「恋人」を持ちながら、違う女性と恋に落ちた。
言わば二股だった。
やがて発覚した。
「みんな」は彼を非難した。
しかし、彼にどうすることができただろう?
落とし穴に落ちたのは、彼の責任ではない。
作った奴のせいだ、と彼は思った。

……

徐々に大人に近づく。
成人式を終えたあたりから、世界が現実的になる。
恋に落ちなくなる。

就職、結婚、出産…。

あらゆるリアルなイベントが、眼前に現れる。
本当にすぐ、そこに。

戦略的な恋愛をするようになる。
彼あるいは彼女と付き合った場合の、メリット・デメリットを比較する。
学歴・収入・身長。料理の上手さ・容姿・従順さ。
天秤にかける。
打算的になり、「この人と結ばれると幸福になれるのか」を考える。

……

誤謬に陥る。
「これが運命だったのだ」という誤謬。

あらゆる計算の果てに算出された人物を、運命の名の下に手に入れる。
幸せはもう目前だ。
そういう運命だったのだ。

……

いつからだっただろう。
木からリンゴが落ちるような恋をしなくなったのは。
彼はリンゴの皮を剥く妻を眺めながら、かつて愛した女性を思い出す。


2012年9月4日火曜日

IT社会の進展が、経済を失速させる

私たちは、人類史上三度目の革命の真っただ中にいる。
情報革命だ。

産業構造を変革させる革命は、経済を発展させる。
例えば、かつて18世紀のイギリスで起きた農業革命は、それによって農村で職を失った労働者が都市に流れ、産業革命の重大な要因となった。
そうして引き起こされた産業革命は工業化を促進し、一次産業から二次産業への産業構造の転換が起きた。

20世紀後半。
インターネットは急速に発展した。
そして人類は、情報革命という歴史上の大きな転換期にいる。
二次産業から三次産業へ。
この事実に、どれだけの人が自覚的でいるのだろう。

……

ところで、インターネットが普及した現在の生活は、一見豊かになったかのように感じる。
例えばSNSの普及がそうだ。
以前より人と出会うことが格段に容易になり、過去の友達とも気軽に再開できるようになった。

音楽を無料で聞くことができ、店頭に向かわずともアマゾンで書籍を購入でき、あるいはネットを使ってどこでも仕事をすることができ、心に余裕が持てる。
情報革命がもたらした変革は、あまりにも大きい。

……

しかしながら、僕はこう思う。

IT社会の進展が、経済を失速させる

なぜか?

……

理由は簡単だ。

コンテンツにお金を支払うという概念が希薄になるからだ。

音楽業界からそれはやってきた。
ユーチューブだ。
言わずもがななので説明は割愛するが、CDが以前より売れなくなったことは誰が見ても明らかだろう。
今では、何千円もするライブのDVDも無料で見れてしまうし、また映画や連続ドラマを見れるサイトもある。

こういった状況は、人々に「コンテンツは無料なのだ」という錯覚を引き起こす。
たくさんの時間とお金を使って作った音楽やコンテンツなのに、お金が支払われない。
アーティストたちもたまったもんじゃないだろう。

あるいは、もうひとつ理由がある。

小売店の存在意義がなくなってしまう。

アマゾンなどのネット通販の台頭がそれだ。
人々は自宅で「ポチる」だけで商品を購入できる。

……

ふたつの理由のうち、インターネットの罪と言えるのは前者だろう。
僕はユーチューブが悪いと思っている。
そもそものシステムが悪い。

一般人が、ホームパーティのビデオをアップしたり、アマチュア音楽家が音楽をアップする分にはよいだろう。
しかし、それ以外の「もともと商品価値のあるコンテンツ」に対しては、ちゃんとその製作者に対価が支払われるようなシステムを構築するべきであった。
その点、日本のカラオケは素晴らしい。
作詞者、作曲者に歌われた分だけお金が支払われるから。

……

インターネットの台頭は、それでも、経済を発展させているかのように見える。
しかし、そうではない。
本当のところは、格差を進展させているのだ。

日本の就活を例に挙げよう。
1997年に、就職協定が廃止された。
就職協定とは、企業が「どこの大学の学生をどれだけの人数取ります」という学歴差別などが許されたもので、これにより就職活動も採用活動も自由になった。
みんなハッピーのはずだった。
そこに台頭してきたのが、「就職情報サイト」。
かつては希望だったはずのこのサイトにより、就職は混迷の様相を呈している。

それは、大企業に何万人もエントリーすることが可能になったからだ。
中堅大学の学生も夢を見て大手の人気企業にエントリーをする。
人気企業は困ったもんだ。
何万枚ものESをチェックするのにはコストも時間もかかる。
そうして生まれた、学歴フィルター。
学生からしたら、なんで落ちたのかがわからない。
企業も、不採用の理由を送ることができない。

誰が得をしたのか?

それは、就職情報サイトを作った、某企業だけだ。

ユーチューブやアマゾンだけが利益を得ているのと同じように。

……

僕らの知らないところで、格差が広がってきている。
情報社会の進展が、格差を広げているのだ。

もちろんインターネットにはいい点もたくさんある。
経済を進展させる面もたくさんあるのだ。
が、ありすぎて今さら僕が論じるまでもないので、書かない。

そうではなく、負の面に意識的になってほしいのだ。
僕が結局言いたかったのは、こういうことだ。

新しいサービスを作る際は、それによって社会に歪みができないような経営システムを構築してほしい。

自分たちだけの利益を考えないこと。

経済を失速させるということにあまり深い考察を加えられませんでしたが、また今度。

2012年8月27日月曜日

自転車に乗りながら、まわる、まわる。

一通の通知書が、ある人間にとって行動のインセンティブとなる。
なんか大げさな言い方であるが、要は実家に帰った時のことを書こうと思う。
ある一通の通知書が、僕の家に届いたのだ。

「放置自転車、発見のお知らせ」
それは、紛れもなく、僕の自転車であった。

……

簡単に説明すると、こうだ。
僕がまだ実家にいた時、自転車を盗まれた。
まあ、カギをかけていなかったので、致し方ないとも言える。
そして、「いつかの自分の過ちが巡り巡って自分に帰ってきたのだろう」と思い、僕はそれを真摯に受け止めた。

その自転車が放置自転車として見つかったらしい。
おそらくパクった人間が乗り回した後、このまま持っていても不吉だからといって放置したのだろう。
賢明な判断だ。

そして、その通知書が僕に届いた。
防犯登録をしていたので当然だ。
だから、僕は、実家に帰ろうと思ったのである。

……

実家に着くと、早速僕は自転車を引き取りに行った。
家から藤沢駅近くの保管所まで、40分ほどかけて歩く。

思えば、僕は自転車っ子だった。
高校も自転車通学だったから、毎日のように自転車で学校に通っていた。
たいていの場所は自転車で行った。
東進も大清水も、あるいはデートへも、僕は自転車で行った。
いろんな人を後ろに乗せた。
そんな思い出がたくさん詰まった自転車だった。

……

保管所で、二か月半ぶりに自転車と対面した。
そいつはもともとガタがきていたのに、長い間風雨にさらされて、ところどころが錆ついてしまっていた。
それでも、僕は嬉しかった。

「また、こいつと走れる。」

そして、保管所に2千円払って自転車を引き取り、僕はサドルにまたがった。

……

二か月半ぶりに自転車に乗ると、なんだか翼が生えたような気分になった。
景色がぐるぐる。
まわる、まわる。
引っ越して以来、移動手段はすべて歩きだったから。
身体にあたる風が気持ちよかった。
スピード感が心地よかった。
本当に空を飛んでいるような錯覚を覚えた。

そして同時に、高校生の頃の記憶が我先にとフラッシュバックした。
僕は爽快感に浸りながら、感傷にふけった。

景色がぐるぐる。
まわる、まわる。
僕はこのまま、どこにでも行けるような気がした。

すると、あるイタズラな欲求が、僕の心を支配した。
それは、高校を卒業してから、僕が意図的に避けてきた欲求だった。

僕はそれを、必死に抑えつけようとする。
欲望は、すなわち己の虚弱さなり。


でも、もはや後戻りできないほどにその欲求は膨れ上がってしまった。
僕はあきらめた。
まあ、いっか!

「家に帰るなら、左折しなくてはならない。」

頭では理解していた。
でも頭と、身体は、違う。
僕は、当たり前のようにその道を右折した。

……

そこは、僕がもう通らないと決めた道だった。
理由は簡単だ。
「高校生の自分に戻ってしまうから。」
誰だって、そういう道があるだろう。
大切な思い出だけで満たされた、特別な道だ。

でも、僕に後悔はなかった。
なぜか?
その道を通っても、僕は高校生に戻れなかったのだ。
それは、もう「過去の記憶」として、道端に転がっていた。

「もう、高校生の自分を、過去として受け止められるようになったんだな…」

それは、僕がまた大人に近づいたという証であり、少し寂しくなった。

……

もうひとつ、イタズラな欲求が僕に芽生えていた。
「この自転車で高円寺の家まで帰ろう。」
そんな馬鹿馬鹿しい試みだ。

アイフォンで調べると、どうやら歩いて8時間ほどで高円寺には着く。
自転車で行けば3時間くらいで着くだろう!
そのように思った。

が、それは甘かったと、後で思い知らされる。

……

何を思ったのか、夕方4時ごろ、僕は高円寺に帰る決意を固めた。
母親にハチミツやらエビオスやらを持たされ、荷物たっぷりで家を出たのは午後4時半だ。
夜の7時くらいには着くだろう、と思った。
アイフォンだけが、僕の地図だった。

引地川沿いを行き、白幡神社の脇を抜けて、大清水高校の横を流れる川沿いをずっと走った。
気持ちいいコースだった。
夕焼けが綺麗だった。

そのうち、1時間ほどで、横浜市に入った。
「もう横浜か…」
そこは、旧ドリームランド前だった。
小学生の頃、ここにサッカースクールがあって、毎週サッカーに来ていたことを思い出した。
そして、ほぼ同時に、ドリームランドの閉鎖前にサッカースクールの友達とここで遊んだこと、直後にサッカースクールもゆめが丘に移ってしまったことを思い出した。

すべては栄枯盛衰なのだ。

……

ドリームランドを過ぎて、ずっと走っていくと、偶然にもゆめが丘にやってきた。
そして、僕がサッカーをしに来ていた人工芝のグラウンドも眼前に現れた。
6年生の時からサッカースクールがこっちに移って、ここでサッカーをしていた。
「こうやって闇雲に走っていくだけでも、思い出のある場所がたくさんあるんだなあ」
僕は自販機で買ったスポーツドリンクを飲みながら、そんなことを考えた。

……

そうやって楽しく旅ができたのも束の間。
横浜市がとにかく長かった。
長いというか、でかい。

横浜って、とにかく起伏が激しいのだ。
坂がたくさんある。
長ーい上り坂をひいひい言いながら登って、下り坂をしゃーっと駆け抜けていく。

「人生みたいだな」、と思った。
いろんな坂道がある。
ちょっと頑張れば乗り越えられる坂もあれば、長くて長くて、自転車を手で押さないと登れない坂もある。
いろんな壁が、僕らの前には立ちはだかる。
ひとつ確実に言えることは、きつーい坂を登った後は、確実に気持ちのいい下り坂が現れるということ。
下り坂の快感。
それがあるから、僕らは辛くても、この人生を頑張れるのだろう。

……

日が完全に落ちた。
まだ横浜だった。
そして、迷子になった。

アイフォンの充電を見やる。
「残り25%」
や、やばい。

センター北駅を過ぎた所まではよかった。
その後、横浜の田舎っぽい所にさしかかり、アイフォンの示す方角がわからなくなった。
ナビによると、この電気の点いていない、いかにも痴漢の出そうな狭い坂道を登らないといけないらしい。
実際、「痴漢に注意!」と看板が出ている。
周りは林で、真っ暗。
なんか出そう。
いや、怖すぎる!

僕はその道を諦めた。
違う道でいこう。
しかし、いかんせん充電が少ないので、道を調べることができない。

ちなみに僕には、高円寺に帰る以外の選択肢(どこかに泊まるなど)は残されていなかった。
翌日、お昼から所属している団体のミーティングがあったのだ。
なんとしても僕は、高円寺の家に帰らなくてはならなかった。

1時間ほど、周辺をさまよった。
怖かった。
アイフォンは10%まで充電がなくなった。

4時半に家を出たことを後悔しかけていたとき、ついに大通りから、登り坂を見つけた。
「ここを登って左折すれば、たぶん同じところに着く!」

僕の明晰な予想はズバリ的中し、アイフォンの示す通りの道にでた。
そのまま行くと、厚木街道にでた。
国道246号線。
ながーい坂道を下りながら、僕は力いっぱい叫んだ。


景色がぐるぐる。
まわる、まわる。

たくさんの車たちが、僕の横を駆け抜けていった。

……

国道246号をずっと走ってゆく。
川崎を抜けて、ついに。

「世田谷区」

ついに東京まで来た。
しかし、ここで不吉な懸念が、僕の心の中を入道雲のように立ち込めた。

道を埋め尽くす人混み。
浴衣のカップル。

多摩川だった。
そこは多摩川だった。
いや、誰がなんと言おうと多摩川だった。

僕はどうやら、多摩川花火に出くわしたようだった。
何が辛いって、花火がもう終わっていたことだ。

「言語道断!!」

私は浴衣のカップルたちがこちらに向かってくる中、一人汗だくで逆走した。

でも、みんな楽しそうだった。
みんな楽しそうで、なんかそれが嬉しかった。

……

ついに、アイフォンの電池が2%を切った。
これは実にヤバい。
100%充電してこなかったことを後悔した。

しかし、後の祭りだ。
現状は、変わらない。
自分で打開するしかない。

「地図を覚えよう。」

私のずば抜けた記憶力をもってすれば、世田谷から高円寺までの道を記憶することなど容易いはずだ。

「えーと、メモリードホールを左、ずっといって、突き当りを右…

…最後は渡辺医院を左!」

もうあとは気力で行くしかない。

……

僕が渡辺医院を発見したとき、だから、狂気に近い声をあげたのは必然だっただろう。
なにやら正体不明の達成感に包まれていた。

そこの道をずっと行くと、新高円寺駅についた。

「やっと着いた…」

時刻は9時半。

今までは何も感じなかったが、その時、太ももにどっと疲れが押し寄せてきた。

……

かくして私は、藤沢から高円寺まで自転車で帰ることに成功した。
疲れ3割、楽しかった3割、達成感4割。
改めて、「やってよかったか?」と尋ねられると、正直首をかしげてしまうが。
まあ、それでも、今後二度と体験できないことだろうし、やってよかったと思う。

なにより、自転車が東京まで来てくれたことが嬉しい。

「こいつと、また走れる。」

僕は、高校時代を共にした愛車を眺めながら、「こいつに東京の景色もたくさん見せてやろう」と、心に誓うのだった。




2012年8月13日月曜日

その国に住む人は、どこか変だ。

その国に住む人は、どこか変だ。
みんな中毒者である、という点で変だ。

……

しかしながら、その国に住む人の国籍は様々だ。
イギリス人もいるだろうし、ロシア人のそれはどこかメランコリニスタと近いだろう。
もちろん日本人もいる。
その国に住む人は、世界中にいる。

……

彼らはいつも本を読んでいる。
それも、ものすごいスピードで。
まるで呼吸するようにページを繰り、頬をゆるませる。
時には美しい涙を流す。

……

僕が初めて、その国に住む人に出会ったのは、家の中だった。
とある小説を、僕は姉に貸したのだ。
それ自体は特別な現象ではなかったと思う。

30分後に、姉がその本を持って僕のところにきた。
僕は、「今読みたい本があるから、先にあんたが読んで」みたいなことを言われるのだと、てっきり思っていた。
30分で、まさか読み終わるわけがあるまい。

しかし、どうだろう!
彼女が発した言葉はまったく違った。
「おもしろかった。」

僕は、確信した。
「あゝ、この人は、違う国の人なのだ。」
そして、僕もその国に住んでみたい、と思うようになった。

……

その国に住む人の特徴は、
「読むのが恐ろしく速い、1日1冊読まないと気が済まない」
などが挙げられると思うが、本質はそこにはない。

とにかく、本が好きなのだ。
本の面白さと、本が与えてくれるものを、本能的に知っている。

トリップだ、と僕は思う。
それはどちらかというと、麻薬に近いのかもしれない。

……

あれから幾星霜。
僕もだいぶ本を読むのが速くなって、読むジャンルも多様化した。
でも、まだまだ。
その国に住む人には、きっと、ずっと負けている。

翻って、その国の住人は、めっぽう減ってしまったように思う。
IT社会の進展を通して、いわゆる「本の虫」と呼ばれる人は、ほとんどいなくなった。
それは、つまり、本の国からの「移住」を余儀なくされているのだ。

でも、僕が出会った社会人の中で、「この人はすごく頭がいいなあ」と思う人は、ほぼ例外なく相当な読書家だ。
それは、ベンチャー企業の社長、とかであっても同じだ。
頭がいい人は、みんな本の国に住んでいる。
その国で得られるものが、対価として支払ったお金の比ではないことを知っているからだ。

……

みんな、どうせなら、本の国の住人になってほしい。
それは、活躍したいジャンルを問わず、必ずあなたの財産になるから。


2012年8月11日土曜日

日本の美しいナショナリズムの起源はどこにあるのか

U23、サッカー日本代表の奮闘が終わった。
オリンピックだ。
昨晩、3位決定戦が終わった。
僕の家にはテレビがないので、近所のスペイン料理屋で、手に汗を握りながら見ていた。
日本は宿敵韓国に0-2で完敗し、メダルを手にすることはできず、4位と涙を呑む結果となった。

僕は10年間以上やっていたこともあってサッカーが大好きなのだけど、
ここで詳しい解説を述べるつもりは毛頭ない。
しかしながら僕は、渋谷で観戦した準決勝を思い出さずにはいられないのだ。

……

どうしても「渋谷」でサッカー観戦をしてみたかった。
日本国民がひとつになるような決戦を。
前回のワールドカップではその機会がなかったから、今回のオリンピックはぜひ渋谷で見たい!という思いがあった。

その願いは、準決勝のメキシコ戦でついに叶うことになる。

……

僕は、友人を誘って二人で渋谷のHUBに行った。
エントランス2000円で4ドリンクがつくという。
なかなかお手頃な値段だ。

地下1階の室内は狭い。
2つのブロックに分かれていて、事前予約した人は座ってゆったりと観戦し、それ以外の人は全員立ち見ゾーンに詰め込まれた。
(個人的には、立ち見ゾーンの方が楽しい気がする。)

立ち見ゾーンは本当にすし詰め状態で、試合開始前から熱気がやばかった。
そこには日本人以外の人もいた。
例えば、僕の隣にはたいそう太ったイギリス人がいて、彼もみんなと一緒になって「Nippon!!Nippon!!」と声援を送っているのだ。

HUBでのメキシコ戦の盛り上がりは、半端ではなかった。
特に大津が先制ゴールを決めたシーン。
地下1階が地鳴りのような叫びにつつまれ、誰が持っているのか不明なホイッスルやらブブゼラが鳴り響いた。
みんな、知らない人とハイタッチしていた。
僕も気分がよくなり、もうなんだかそこらじゅうの人とハイタッチをした。
それからもみんなでひとつになって応援した。
「にっぽん!!にっぽん!!」

とにかく店内は暑くて、クーラーの威力も微々たるものであり、店員たちがメニューであおってくれて生まれた風も焼け石に水という感じであった。

ゲームは結局、後半にミスで失点をして勝ち越され、終了間際にはダメ押しの一点を食らった。
1-3で敗戦を喫した日本代表。
HUB内にはため息がもれた。
扇原をけなしている人がいた。
でも、「次は頑張ってなんとかメダルを!」という期待の声も多かった。
僕も、頑張ってほしいと思った。

……

試合が終わって、午前3時。
当然終電もなく、僕と友達はなんとなくスクランブル交差点に向かった。
負けたから、みんな沈んでるんだろうなあ。
そんなことを思いながら歩いていたが、僕らを待っていたのは異様な光景だった。

「にっぽん!!にっぽん!!」

スクランブル交差点は、HUB以上の熱気に包まれていた。
信号が赤の間は、交差点を挟んで両岸で代表の応援歌を歌っている。
そして青になった瞬間、みんな一斉に交差点へと奇声を発しながら駆け出し、なりふり構わずハイタッチをする。
後から、交差点に来た人たちも、「なんだなんだ!?」とみんなハイタッチに参加し始め、もう様相は混沌を極めていた。
中には黒人やら中東っぽい人たちもどさくさに紛れてはしゃいでいた。

「ナショナリズムだ。」

僕はそう思った。
これがナショナリズムだ、と。

いつもの僕なら、そんな馬鹿騒ぎしている光景を目にしたら嫌悪感しか抱かないのだけど、その日はなんか違った。
僕も、見てるだけで最高に気持ちよかった。
それは、セックスなどの性的快楽とも、小説や映画から得られる精神的快楽とも異なるものだった。
僕たちが、日本人であるという自覚。
そのナショナリズムが、たまらなく快感だったのだ。

……

日本人のナショナリズムは心地よい。
それは東日本大震災であらゆる人が実感したと思う。
我々はみな誇らしかったはずだ。
緊急時にも慌てない日本人の強さと、日本人の譲り与える姿勢を、世界中が称賛したことに。
それは今さら指摘するまでもない。

日本人であることが誇りである

このような思いを抱いている日本人は多い。
僕はそれを美しいと思う。
なぜ僕がそれを美しいと思うのか。

……

ベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体」で指摘したように、ナショナリズムは18世紀のフランス革命にその萌芽が見られる。

ナショナリズムとは「国民主義」などと訳されるが、その定義は曖昧だ。
主要な論者のひとりであるアーネスト・ゲルナーは「政治的な単位と文化的あるいは民族的な単位を一致させようとする思想や運動」と定義している。
要するに、ナショナリズムとは、「国民が、国民であるという自覚」だ。

なぜそれがフランス革命で出現したのか、というのは相当長い議論になるのでかなり短く説明する。

市民革命を起こして新しい「フランス」を作ろうとすれば、周りの国家の国王は黙っちゃいない。
その市民革命が自国に波及して、王を倒そうとする運動が活発になるのが怖いからだ。
そこで、フランス革命をつぶそうと周りの国々はフランスに干渉する。
その干渉に打ち勝つために、「フランス国民であるという自覚」が求められたのだ。
(当時は国境とかも曖昧ですからね。誰がフランス人であるかも、それまでは曖昧だった。みんながフランス人という自覚を持つことは、とてつもなく大変なことだったんです。)

……

フランス革命以降、ナショナリズムは世界中各地で見られた。
むしろ18世紀以降の世界史は、「ナショナリズムの歴史」と言っても過言でない。

どの国家も、他民族と自民族の差別化をはかった。
世界はたいてい国境が曖昧で、民族も入り混じっているから、
国民が、国民であるという自覚
を植え付けるのはとてつもなく大変だった。

それは時には虐殺となり、戦争を引き起こし、たくさんの血が流れた…

……

ここで、話を戻す。
我々が「日本人であるという自覚」を持つとき、世界のナショナリズムとは少し異なることに気が付くだろう。
我々は、虐殺も戦争もなしに日本人であるという自覚」を手にすることができた。

島国」。
それが我々の強みだった。
国境がはっきりしていた。
我々は、他民族との差別化を、血を流さずに手にすることができたのだ。
もちろん、南京虐殺や、北海道と沖縄といった例外はあるけれど、世界では極めて稀な例であることには疑いの余地がない。

僕が美しいと思ったのはそこだったのだ。

日本人のナショナリズムには、他民族を蔑視するという概念がない。

……

サッカー韓国代表は、日本との銅メダル決定戦で勝利しメダルを確定した後、 "独島は私たちの地"と書いた紙を持ってセレモニーをしていたとして、話題になっている。
ほんとに言語道断。
スポーツに政治観、宗教観を持ち込んではいけない。

まあでも、韓国のナショナリズムは、世界の一般的なそれと同じなのだ。
他民族を蔑視するというのがその根底にある。

疲れたからもうここで終わります。
だけどやっぱり、こう思うよね。
日本人は素晴らしいって。

そして僕らは、これによって陥るナショナリズムのパラドックスに、まだ無自覚であったりもするんだ。




2012年7月31日火曜日

なぜ大学で勉強しなくてはいけないのか?

今宵は、勉強するということについて考えてみようじゃないか。

……

テスト期間中、僕はほとんど毎日大学の図書館へ通った。
国立大学だから、人でごった返していることもないし、なにより落ち着いて勉強ができるこの図書館。
この大学で、僕が好きな場所の一つである。

図書館に紙パックの飲料水を持ち込んで入ったら、事務の人に呼び止められて、
「紙パックの飲料は、持ち込みご遠慮お願いします。ペットボトルなら大丈夫なんですが。」
「いや、でもまだ全然残ってるんですけど…。」
「それなら、中身を捨ててから図書館に入ってください。」
「え、でもそれは不衛生じゃないですか。それに、この世界で何十万人の子供が、この飲料水を飲めなくて苦しんでると思ってるんですか?僕が今、中身を捨てたらね、それは人倫に悖る行為となりますよ完全に。」
「え、あ、はい、それなら中身を飲み干してから入ってください。」
などという会話は特に交わされなかったが、とにかく僕は図書館で勉強をしたのだ。

単純に勉強が楽しい、というモチベーションはたしかにあったのだけれど、それでもやはり、「なんで僕は勉強をしているんだろうか?」という疑問が時々頭をよぎった。
大学に入った時点で、真剣に勉強することの意義を見出せなくなる人は多い。
僕自身も前の大学でそうだったからよくわかる。
勉強したところで、GPAが上がるだけだし、それが就職に結びつくわけでもないし。
単位さえ取れれば、いい。
そういう雰囲気は、おそらく日本中の大学を取り巻いているのだろう。

でも、勉強には明確な意義がある。
それを知っていないと、勉強に対する姿勢は変わらない。


さしあたって、一人の会社員の言葉を僕は思い出すのだ。


……

僕は高円寺の酒屋にいた。
それは、引っ越した初日のことだ。つまり、6月。
その日、日本代表の試合があるのを知っていた。
僕はどうしてもそれを見たかったので、近所の酒場まで足を運んだのだ。
画面では、代表が相手チームを大人げないほど叩きのめしていた。

「こんなに圧勝なら宮市が見たかったなー。」

そうこぼしたのは、僕の隣で試合を見ている、名前も知らない会社員だ。
スーツをぱりっと着こなしている。
とても仕事ができそうな風貌だった。

「君もそう思わないか?」

彼は、ぐいっとビールを飲み干した。
僕らは初めて出会ったのだけれど、試合を観戦しながら楽しく話をしていた。

「そうですね…
でも、たくさん点入って、見てる方としては気持ちよかったし。」

代表は見違えるほど強くなった。
僕はというと、その事実にちょっと嬉しくなっていたところだ。
会社員は、話題を変えた。

「そういえば、大学入り直したって言ってたよね。
今はどこに通ってるの?」

「一橋大学です。」

名前も知らない会社員と話をするのは、最初こそ照れ臭かったけれど、
酔いも回ってもうずいぶんと慣れてしまった。
それに何より、その会社員はとてもウィットに富んだ人で、話していて気持ちがよかった。

「そっか。頭いいんだね。
最近の大学生って、ほんとに勉強しないらしいね。」

「そうですね。僕の周りでも、大学に入っただけで満足している人はいます。
でも、一応僕は二回目の大学生なんで。
勉強を最優先させるようにしています。」

「そっか。それはいいことだ。
突然だけど、なんで大学生が勉強しなきゃいけないか、わかるか?」

なかなか難しい質問だった。
僕は漠然と、目の前の知識を吸収していたのだ。
少し悩んで、答える。

「教養を身に付けるためでしょうか。」

会社員の顔が、綻んだ。

「そうだ。まさに、教養を身に付けるためだ。わかってるね。
だけど、これだけは覚えていなくちゃいけないよ。
真の教養を身に付けるのは、本当に難しいことなんだ。
それはそれは、とてつもなくね。
教養を身に付けるのが、実は一番難しいということ、
これは絶対に忘れちゃいけないよ。」

その言葉は、酒屋の片隅で、僕の胸に響いた。

「あとね、こんなところに毎晩通うようになってちゃ、ダメだぞ。」

……

ここで、少し冷静に考えてみよう。

大学で勉強するのは、本当に教養を身に付けるためなのだろうか?

あの時の僕は、疑うことなく無邪気にその言葉を信じてしまったけど、
それは本当に正しいのだろうか。

……

後日、僕は友達から、唐突にこんな質問を受けた。

「教養って、なんだと思う?」

その問いかけは、あの会社員と会話した直後ということもあって、なかなか面白かった。
と同時に、自分がその答えを用意できていないことに気がついた。

教養を身に付けるために勉強する、そうは言っても、
肝心の教養がなんなのか把握していなかったら、何も始まらない。

「ちょっと、1分だけ待って。」

僕は、考える時間をもらった。
みなさんにも1分間、教養とはなんなのか考えてもらいたい。
それは、すごく深い問いだ。
簡単に答えは出せないだろう。

……

僕はなんとか、自分なりの答えを見つけた。

「わかった。」

「なに?」

「教養は、社会人のグレーゾーンだ。」

友達は、すこし、首をかしげた。

「どういうこと?」

「つまり、社会人としての共通認識ってこと。
社会人がおしなべて持っている共通理解だ。
それを持っていないと、コミュニケーションが円滑にいかなくなるんだ。」

「うーん…
社会人って、幅が広すぎじゃない?」

「それなら、知識人の共通認識でもいい。」

うーん、我ながらぶれぶれだぞ。
でも、なかなか惜しいところまでは来ている気がするんだ。

「そっかぁ。
私、教養がなんなのか気になって、調べてみたんだよね。
そうしたら、教養って、3つの能力から成り立っていることがわかった。

俯瞰的に物事を見れること。
無知の知を知っていること。
一見何の繋がりもない物事の関係性を理解できること。


このみっつ。
どうやったら、この教養を身に付けられるか、わかる?」

「勉強し続けるしかない。」

「そう、難しい本を読んで、勉強し続けるしかないんだって。
簡単には身につかないものなんだよ、教養は。

それで、この3つの定義の本当の意味をわかるようになるには、
自分にはまだ意味がわからないけど、大切だと思えることに時間をかけて
誠実にわかろうと努力し続けることが必要。
なんだって!」

なるほどー、と膝を打ちながら、最近僕の考えていたこととよく似てるなぁ、と思ったのです。

……

ここで、4億年前の世界を想像してみよう。
そこに生息していたのは、魚類だけだ。
魚類から進化の歴史は始まる。

ある日、魚類のうちの一匹が、陸地を目指そうと志した。
彼にどんなドラマがあったのかは知らない。
しかし、彼は、上陸に成功する。
彼は、後に我々から、「両生類」と呼ばれる生き物となった。
進化した、のである。

ここでポイントとなるのは、上陸に成功したそいつは、決して強者ではなかったということだ。
つまり、彼は、水の中での勢力争いに負け、陸地を目指すしかなかったのだ。
敗者ゆえに進化した、のである。

それなら水中での強者はどうなったのか?
そいつは、シーラカンスという「生きた化石」であり、当時と同じ姿をしたまま今に至る

……

なぜ僕が急に進化の話をしたか、わかるだろうか。

それは、ここに、イノベーションの起源が存在する、と思ったからです。

最近僕は、「グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた」という
おもしろい本を読んだ。

この本については、「ブクペ」というサイトで概要をまとめたからそっちを読んでほしいんだけど、
まあとにかく、アップルの登場などによりソニーが落ちぶれていく様子が鮮明に書かれていた。
でも僕は、この本を読みながら、こんな風に解釈する。

ソニーはウォークマンという牙城を築き、それの過信を持ち続けていた。
いつまでもネットの可能性を無視していた。
ネットの市場は膨らむ一方なのに、見て見ぬ振りをした。
そこにやってきた、アップル。
アップルはiPodに、iTunesという強力な武器を引っ提げてやってきた。
それは音楽業界が、「ネット」という陸地に上陸した瞬間だった。
ソニーは、日本のシーラカンスとなった。


もっとも、これはソニーに限った話じゃない。
何年、何十年という単位で、進化した企業が老舗を追い出し、シーラカンスたらしめる。
そういうことが、企業の間では繰り返されてきた。イノベーションが起こるたびに。

そしてこのイノベーションの起源は、何億年も前から存在していた。
ほかでもない、魚類の進化に見て取れるのです。

……

こういう風に思考していくこと、思考し続けることができる人を、
「教養のある人」というんじゃないでしょうか。

さっきの友達が示した教養の定義をもう一度書きます。


俯瞰的に物事を見れること。
無知の知を知っていること。
一見何の繋がりもない物事の関係性を理解できること。


先ほど示した「シーラカンス・イノベーション論」もこの三つ目に当てはまると思います。
この三つの詳しい解説は、あえてしません。
ですが、この三つを抽象化してみると、次のようなことが言えるでしょう。

教養とは、知識をダイナミックに繋げることのできる能力である。

そして、

我々は、この教養を身に付けるために、勉強し続けなくてはならない。

……

しかしまあ、大学の講義とは凡そつまらないものだ。
それは、100年も前からそうなのだから。
漱石の三四郎を手に取ればすぐにわかるだろう。
三四郎の友人、与次郎が、「講義はつまらないものだ。」と断言しているではないか。
東京帝国大学(現東大)の講義ですらつまらなかったらしい。

現代の学生は、そして、外へ出ていこうとしてしまう。
行動を起こすことこそが「素晴らしいこと」だとされる。
起業をする。インターンをする。イベントを主催する。
近頃は、高校生の頃から学生団体を立ち上げたりしちゃってる人なんかもいる。

無論、これらを無下に否定するのは、早計にすぎる。
しかしながら、こういった人たちは大抵、「勉強する」ことを忘れている。
あるいは、「勉強する」ことのプライオリティが、行動より下にある。

……

IT社会が進展したとはいえ、我々は勉強をやめてはいけない。
それは先ほども示したように、教養を身に付けるためだ。

教養が備わっていない人は、話せば5分で見抜かれます。
彼らとする会話は、ツマラナイ。
そして、イノベーションが生まれる気配が全くない。
「教養の欠如」を「行動」で埋めようとするのは、浅はかである。
教養に愛と行動が伴い、初めてイノベーションが生まれる。

教養のない人なんて、就職面接でも落とされますし、起業しても成功する可能性は低いし。
はっきり言って、今の世の中に必要ないでしょう。

……

とまあ、そういうわけです。
結局何が言いたいのか、というと

「もっと勉強しよう!」

ということです。
繰り返しますが、大学で勉強をするのは、教養を身に付けるためです。
「意味あんのかなあ、これ」と思うような勉強を続けるのです。
そしてある日急に、教養は自分の一部となります。

教養とは、知のダイナミズムです。
それが身に付いても、世界は変わりません。
ただ、世界の見え方が変わります。

例えば、言葉をしゃべること自体が男女差別であることがわかります。

例えば、宗教の不毛さを実感します。

例えば、反原発がいかに愚かであるかがわかります。

例えば、イノベーションの起源が魚類の進化にあることがわかります。

例えば、今の日本がどれだけ壊滅的な状態にあるかがわかります。

……

具体的にもっと詳しく書きたかったのですが、長くなったので、日を改めます。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
勉強をがんばるみなさんに、溢れんばかりの愛を。






2012年7月23日月曜日

あの日の音楽

忘れたくない刹那。
情熱とは微妙に異なる温度。
心に充溢した想い。
それはすべて、幸せを紡ぎ出す音楽。

君が笑った時、僕の心にそのメロディが鳴り響いた。

遠く遠く、幼い頃、夢の中で出会った君へ。
今さらだけど、伝えたいことがあるから。
僕はいま、青空の下で、目をつむっているんだろう。 

心の中の、ほんの一部に、綻んでしまったページがあって。 
それを結び直す方法を、まだずっと、見つけられずにいるんだ。

2012年7月12日木曜日

僕らがディズニーを楽しめなくなる日

1年前くらいに書いた記事を、手直しして、今アップします~^^
……
……
……


なにか楽しいことがあった日の帰り道は、どこか寂しい。
愉快な友人とのドライブとか。
やんちゃなサークルの飲み会とか。
大好きな人とのデートとか。


その日も、その例にもれなかった。
その日は確かに楽しかったから、帰り道が寂しいのは当たり前のことだった。
でも、明らかにいつもの寂しさとは異なる感情が、胸の中を渦巻いていたことに、僕は気づいてしまった。


……


僕の表情を読み取ったのか、君は尋ねた。


「どうしたの?さっきから浮かない顔してるよね。」


うん。そうなんだ。
言いよどんだけど、思ったことは全部言ってしまう関係だったから。


「なんだか、大人になることが怖くなってしまったよ。」


自分の口からそんな言葉が出たことが意外だった。
なぜって僕は、大人になることが楽しくて仕方がない人間だったのだ。
だって、「大人の男」って格好いいじゃない。
ちょっと髭がオシャレに生えてて、日本の経済や政治を憂えながら、ウイスキィを舐める。
そんな大人に憧れていたから。


でも、その日は違った。
僕たちは夢の国へ行ってしまった。
夢の国で、夢の世界を楽しんでしまった。
僕たちは、まだまだ子供だったんだ。
その事実が、あった。
「どうして?」
と、君は尋ねる。


僕たちは最寄駅が同じだったから、二人とも自転車に乗って帰っているところだった。
僕は答える。


「今日は楽しかった、本当に。
でも、僕たちはあと何年間、ディズニーランドを楽しめるんだろう?
五年後には、もう夢の国を楽しむ心を失ってしまっている気がする。
子供の心で、楽しめなくなるんじゃないだろうか?
なんか、そんなことを考えたら、怖くなってしまった。大人になるのが、怖い。」


うーん、とちょっと悩んでから、君は言う。


「確かに、子供の気持ちでもう遊園地を楽しめなくなっちゃうのかも。
でも大人になることって、そんなに悪いことじゃないんじゃない?
堺雅人とか、かっこいい大人っていっぱいいるじゃん。
かっこよく年を取っていく、って言うのかな。
女性で言うと、だれだろう。
まあとにかく、私は大人になることもいいことだと思うよ。」


一理ある、と思ったが、僕の漠然とした不安に対する答えにはならなかった。


「言いたいことは、わかる。
でも大人になってしまうという無機質な事象を前に、あまりにも僕らは無力じゃないか。


「そんなこと言ったって、しょうがないよ。
それにね、いつか子供ができた時に、家族でディズニーに行くの。
そうしたら、思い出すよ。子供の心を。
子供には戻れないけど、思い出すことができる。」


君の答えに、僕は満足しなかったのだろう。
このメランコリー、このノスタルジー。
今日が楽しかったのが悪い、と思った。
もう一度、今日の朝が来ればいいのに、と。
もう僕が、今日という日を生きることは、たとえどんなにテクノロジーが進歩したところで絶対にないのだ。
もう、二十歳なんだ。
これからどんどん年を取り、大人になり、死んでいくのだ。


「それじゃあ、ばいばい。」


君は、夜の道に消えて行った。


……


生きることって、純粋に楽しいことだと思ってた。
今までの人生はそれなりにうまくいっていたと思うし、
他の人が嫌いに思うこと、たとえば勉強なんかは、僕にとってはとても楽しいことだった。


でも、そうやって色々な体験をすることが、僕は怖くなる。
もう二度とやってこない「今」に、どうしようもない不安を覚える。
どうせ僕らは「今」を二度と体験できないのだ。
そしてみんな、死んでゆく。


深夜、一人で自転車に乗りながら、ずっとそんなことを考えていた。
僕は歩きながら考察を進めようと思い、自転車から降りた。
家路を歩いて辿る。
すると。
こつん、と何かが脳みそに響いた。
なんだろう。
僕は記憶の糸を辿りよせる。
あの日の、声が蘇る。


……


「…これは、死の魔法という曲のアンサーソングです。」


ライブ会場だった。
たしかにボーカルの男の子はそういったのだ。
死の魔法。
それはこんな歌だ。


WOW 僕の中で戦う天使も悪魔も
何か始まる朝も何か終わっていく夜も
愛も憎悪も全てこんなに僕は好きなのに
どうして死んでしまうの?

WOW 始まったものはいつかは終わっていくんだ
「今」を生きるということはソレを受け入れて生きること
僕は大切な仲間や愛する人がいるのに
どうして「今」という時間を大切に出来ないんだろう

WOW 僕は過去も未来もこんな好きなのに
どうして「今」を愛せないんだろう

死んだらどうなってしまうのだろう、そういう歌。
それは、今僕が抱いている感情と同じだった。
これに対する、アンサーソング?
彼らは、あの時、何を歌った?


「では、聴いてください。新曲です。不死鳥。」


あの日。
今から1年前の12月。
そのバンドマンはとても輝いていた。
歌う姿が眩しすぎて、僕は涙を流しながら、ボーカルの姿を見ていた。
隣では、君とは違う女の子が、踊るように音楽を聴いていた。
不死鳥という歌は、あまりにもかっこよかった。


もしもこの聖なる星が降る夜が 
最初から存在しなかったのなら 
あの真っ白な世界を朝とは呼ばないわ 
終わりの無いものなんて 
最初から始まりなんて無いの


あの時、僕はちゃんと歌詞を噛み砕いていたのだろうか。
自分のものにしていたのだろうか。


死がくれる世にも美しい魔法 
今を大切にすることができる魔法 
神様 私にも死の魔法をかけて 
永遠なんていらないから 
終わりがくれる今を愛したいの


僕は、夜の道を歩きながら、そしてiPodから流れる音楽を聴きながら、
ずっとそのライブを思い出していた。


……


アーティストに答えを求めるのは、少し安易なやり方だろう。
でも、僕はごく自然と、そのライブを思い出してしまったのだ。
そして、アーティストにとっても、そのくらいの奇跡はあった方が嬉しいんじゃないだろうか。


きっと、そういうことだったのだ。
死が与えてくれる魔法。
それは、今を大切にすることができる魔法。
終わりはたしかに怖いことだけど、だから、今を愛せるのだということ。


僕も君も、これから大人になっていくのだろう。
そして、いつか、今日を懐かしく思う日がくるのだろう。
「あの頃のようにはしゃぐことができたら…」
僕らはきっとそう言うのだ。


でも、だからこそ、僕らは今を大切にできるのだ。


2012年6月30日土曜日

30年前の自分がそこにいた

親父が、一人暮らしする息子の家に来た。

「近いうち、お前の家、見に行くからな」

父は、僕と違い、言ったことをきちんと実行する人間だ。
宣言通り、一人暮らしをはじめて三週間が経ったころ、親父は我が家にきた。
狭い部屋を、なつかしそうな目で一通り眺める。


「思っていたほど、狭くないじゃんな。
母ちゃんは、言うことが大げさだよな。」


父は、母親から、俺の部屋が相当狭いと吹き込まれていたようだ。


「まあだけど、なんだかんだ育ちがいい(?)人だから、
お前のことが不憫だったんだろうな。
一番さびしそうにしてるのも、母ちゃんだよ。」

ほう。

「じゃあ、寿司でも食いにいくか。」

……


五月。
部屋を探そう、と思った。
そう決めてからは、早かった。
神奈川県の南端から東京の田舎まで毎日通い続ける中、僕は片道2間という通学が何をするにも非効率なことに気づいていた。
勉強するなら、机で集中した方が何倍も効率がいいし、分厚い本をたくさん抱えながら電車に乗ると、それだけで死にそうなほど疲れる。
もはや東京で暮らすべきではないか。 
それは親も同じことを思っていたようだった。

「家から出ていきなさい」 

唐突な一言ではあるが、非常にナチュラルな響きを持っていたのは、やはり偶然ではない。
部屋を探そう。
そう思ったのだ。   

…… 
     
僕としては、仕送りも高くないし、バイトはしないつもり(?)なので、とにかく安さが第一。  
その上に、高設備かつ好立地な物件を求めていた。

・フローリング
・二階以上
・収納あり
・全体的にキレイである
・狭くて構わない
・駅徒歩10分以内 
・家賃5,5万円以内 
・高円寺か吉祥寺か中野

実際に暮らすとなると、やはり設備の妥協は許されない。
しかし条件の最後2つがネックとなり、そういい物件は見つからなかった。 

 ……

5月の週末、池袋の不動産屋にいった。
時期的な問題か、だだっ広い店内には店員2人しかおらず、閑古鳥が鳴いている。
まず、自分で探してきた物件を見せた。
うーん、とうなってから、担当H氏は言った。

「 この条件なら、あまりないと思いますが、もっといい物件が見つかるかもしれません」 

彼はパソコンにかたかた打ち始め、吉祥寺家賃5万円の物件を紹介してきた。

 「この条件に当てはまるのだと、この物件がベストですかねぇ」 

そう自信なさそうに、担当のH氏は言った。
申し訳なさそうな彼の表情とは裏腹に、僕はその物件に惹かれつつあった。 
なるほど、たしかに立地もいいし、条件も満たしている。
なんかここ、良さそう! 
ここに住もうではないか。
判断の早さには自信がある。 
穏やかなHさんと、来週物件を見に行く約束をし、その日は不動産屋を去った。 

……

とても楽しみにしていた物件見学だったが、実際に見に行って、がっかりした。
とにかく、古いのである。
写真で見たのとはまるで違う。 
ほかに、キッチンが尋常ではないコンパクトっぷりであった。 
なるほど、と思った。
物件探しは、想像していたよりもはるかに奥が深いのかもしれない。

……

「あの家賃、立地で紹介できる物件だと、ここしかないですし、吉祥寺なのにこの家賃は、本当すばらしいですよ」 

担当H氏は、もはや開き直りの表情である。
というより、自分が紹介した物件に満足しているようだ。 

「どうします?」 

どうしましょうか…
とも思ったが、もはやそこで暮らす自分は全くイメージできないのだ。 
とりあえず、物件申し込みの書類だけはもらい、僕は吉祥寺を後にした。

……

どうするかな。
今は、もう5月だ。
時期が時期だから、いい物件は見つからないのかもしれない。
一人暮らしは、とりあえず保留しようか。
そんなことを考えていたが、いかんせん帰る気分になれなかった僕は、中央線を高円寺で降りてぶらぶらしていた。


高円寺の温度は、個人的にすきだ。
いい感じのカフェ、狭くて賑やかな商店街。 
公園で遊ぶ子供と母親、手を繋いだカップル。
この温度がすきだ。
春樹の1Q84や、ドラマ流星の絆の舞台となった。
そんな、素敵な街だ。

気がつくと僕は、また不動産屋の前に佇んでいた。
もしかして、高円寺の不動産屋なら、高円寺のいい物件が見つかるかもしれない。
そんな予感があった。
僕は、店内に足を踏み入れる。

……

池袋のそれとは打って変わって、狭苦しい店内に店員が4人もおり、とても賑やかな雰囲気の不動産屋だった。
こちらとしても熱くなってくる。

「高円寺で物件探してます。家賃5.5万位内で!!」 

「了解でーす!!!ちょっと待っててください!今、探しますから!」

担当M氏も僕も、無駄にハイテンションである。

「高円寺ならね、まかせてくださいよ。あ、今!いいのあるんですよ!
家賃5.1万円で、ホワイトフローリング!
ここにしましょう!!見てきてください!」 

M氏は僕にチャリ鍵を渡してきた。 
めっちゃ体育会系やな、M氏… 
いや、見てくるけど「ここにしましょう!」 の違和感な。
それは、カスタマーズコメントや!

……

1人ペダルを漕いで、 地図を片手に物件を探す。
徒歩8分というだけあって、自転車で3分もしないうちに物件に辿り着いた。 
立地はとてもよい。
ターコイズブルーのドアを開き、中にはいる。
室内は、まだクリーニング前であったらしく、とても汚かった。 
しかし、条件はすべて満たしているようだ。
二階以上だし、収納もある。
なによりターコイズブルーのドアに惹かれた。
ここで暮らす自分をイメージし、なんだかとてもワクワクしてきた。

……

「どう!?よかったでしょ!?
まだクリーニング前で汚かった?
あ、でもちゃんとホワイトフローリングに
張り替えるし、キッチンも新しくなるんで、大丈夫ですよ!」 

相変わらず、パワフルだ。
彼を見据えて、僕は言う。 

「M氏…入居決めました!」 

M氏のすでにほころんでいる顔が、より一層ほころんだ。 

「おー、気に入ってくれたか!よかった!
ありがとう。」 

M氏が手を差し出した。
がっちりと僕らは握手をした。
あ、熱い…。

……

帰宅すると、父がリビングでひとり酒をしているところだった。

「いい部屋見つかったかー?」 

僕は、高円寺の物件の申込書を差し出した。

「ここに決めました。
よろしくお願いします。」 

父は、つくづくと申込書を眺めた。
やがて相好を崩しながら、言った。

「高円寺かあ。いいなあ。俺も学生の頃、住んでたよ。
青春の街だ。」 

初耳だった。

父も、高円寺に住んでいたのか。 


「母ちゃんが、東中野で、俺が高円寺に住んでいたんだ。
浪人生活から、大学卒業するまで、ずっと高円寺だよ。
中央線は、いいよな。」


お、おう。


僕も、中央線が好きだ。
ステマでもなんでもなく、中央線が好きだ。
よく遅延してるけど、それすら愛らしいじゃないか。


「ついに俊平も、一人暮らしする日が来たのか。
まあ、健康に気を付けて、頑張れよ。」


父は、酔っているのか、うつろな視線を僕に向けた。


いや、違う。


父は、二浪した人だ。
今じゃ二浪する人なんてめったにいないけど、あの頃の多浪は、
それほど珍しいことではなかった。


姉も、二人の弟も、現役で大学に進学した。


しかし、僕。
僕は、一応、二浪という部類に入るのだろう。
もちろん元大学生という身分だけど、年齢の上では立派な二浪だ。
父は、だから、僕に特別な親近感を持っているのかもしれない。


その息子が、かつて自分が暮らした街、高円寺で下宿をするという。
父の視線は、うつろな訳ではなかったのだ。
もっと、遠くを見ていた。


僕を見ていた。


自分の息子というフィルタを通して、30年前の青春の影を追っていた。


30年前の自分が、そこにいたのだろう。


……


僕の部屋出た後、父と二人でお酒を飲んだ。


さまざまな話をし、本を渡され、寿司を食べ、日本酒を飲んだ。


二時間ほどが経ち、寿司屋を出て、父を見送った。


「じゃあ、俺はもう帰るけど。
遊びはほどほどにして、しっかり勉強しろよ。
あと、米買って、ちゃんと自炊しろよ。」


父はそう言うと、まだ賑やかな商店街を、駅の方へ歩いて行った。


その姿をしばらく眺めた。


そして、ぼんやりと思う。


この街で、僕は生きていく。


誰かの影を、辿りながら。