2012年6月30日土曜日

30年前の自分がそこにいた

親父が、一人暮らしする息子の家に来た。

「近いうち、お前の家、見に行くからな」

父は、僕と違い、言ったことをきちんと実行する人間だ。
宣言通り、一人暮らしをはじめて三週間が経ったころ、親父は我が家にきた。
狭い部屋を、なつかしそうな目で一通り眺める。


「思っていたほど、狭くないじゃんな。
母ちゃんは、言うことが大げさだよな。」


父は、母親から、俺の部屋が相当狭いと吹き込まれていたようだ。


「まあだけど、なんだかんだ育ちがいい(?)人だから、
お前のことが不憫だったんだろうな。
一番さびしそうにしてるのも、母ちゃんだよ。」

ほう。

「じゃあ、寿司でも食いにいくか。」

……


五月。
部屋を探そう、と思った。
そう決めてからは、早かった。
神奈川県の南端から東京の田舎まで毎日通い続ける中、僕は片道2間という通学が何をするにも非効率なことに気づいていた。
勉強するなら、机で集中した方が何倍も効率がいいし、分厚い本をたくさん抱えながら電車に乗ると、それだけで死にそうなほど疲れる。
もはや東京で暮らすべきではないか。 
それは親も同じことを思っていたようだった。

「家から出ていきなさい」 

唐突な一言ではあるが、非常にナチュラルな響きを持っていたのは、やはり偶然ではない。
部屋を探そう。
そう思ったのだ。   

…… 
     
僕としては、仕送りも高くないし、バイトはしないつもり(?)なので、とにかく安さが第一。  
その上に、高設備かつ好立地な物件を求めていた。

・フローリング
・二階以上
・収納あり
・全体的にキレイである
・狭くて構わない
・駅徒歩10分以内 
・家賃5,5万円以内 
・高円寺か吉祥寺か中野

実際に暮らすとなると、やはり設備の妥協は許されない。
しかし条件の最後2つがネックとなり、そういい物件は見つからなかった。 

 ……

5月の週末、池袋の不動産屋にいった。
時期的な問題か、だだっ広い店内には店員2人しかおらず、閑古鳥が鳴いている。
まず、自分で探してきた物件を見せた。
うーん、とうなってから、担当H氏は言った。

「 この条件なら、あまりないと思いますが、もっといい物件が見つかるかもしれません」 

彼はパソコンにかたかた打ち始め、吉祥寺家賃5万円の物件を紹介してきた。

 「この条件に当てはまるのだと、この物件がベストですかねぇ」 

そう自信なさそうに、担当のH氏は言った。
申し訳なさそうな彼の表情とは裏腹に、僕はその物件に惹かれつつあった。 
なるほど、たしかに立地もいいし、条件も満たしている。
なんかここ、良さそう! 
ここに住もうではないか。
判断の早さには自信がある。 
穏やかなHさんと、来週物件を見に行く約束をし、その日は不動産屋を去った。 

……

とても楽しみにしていた物件見学だったが、実際に見に行って、がっかりした。
とにかく、古いのである。
写真で見たのとはまるで違う。 
ほかに、キッチンが尋常ではないコンパクトっぷりであった。 
なるほど、と思った。
物件探しは、想像していたよりもはるかに奥が深いのかもしれない。

……

「あの家賃、立地で紹介できる物件だと、ここしかないですし、吉祥寺なのにこの家賃は、本当すばらしいですよ」 

担当H氏は、もはや開き直りの表情である。
というより、自分が紹介した物件に満足しているようだ。 

「どうします?」 

どうしましょうか…
とも思ったが、もはやそこで暮らす自分は全くイメージできないのだ。 
とりあえず、物件申し込みの書類だけはもらい、僕は吉祥寺を後にした。

……

どうするかな。
今は、もう5月だ。
時期が時期だから、いい物件は見つからないのかもしれない。
一人暮らしは、とりあえず保留しようか。
そんなことを考えていたが、いかんせん帰る気分になれなかった僕は、中央線を高円寺で降りてぶらぶらしていた。


高円寺の温度は、個人的にすきだ。
いい感じのカフェ、狭くて賑やかな商店街。 
公園で遊ぶ子供と母親、手を繋いだカップル。
この温度がすきだ。
春樹の1Q84や、ドラマ流星の絆の舞台となった。
そんな、素敵な街だ。

気がつくと僕は、また不動産屋の前に佇んでいた。
もしかして、高円寺の不動産屋なら、高円寺のいい物件が見つかるかもしれない。
そんな予感があった。
僕は、店内に足を踏み入れる。

……

池袋のそれとは打って変わって、狭苦しい店内に店員が4人もおり、とても賑やかな雰囲気の不動産屋だった。
こちらとしても熱くなってくる。

「高円寺で物件探してます。家賃5.5万位内で!!」 

「了解でーす!!!ちょっと待っててください!今、探しますから!」

担当M氏も僕も、無駄にハイテンションである。

「高円寺ならね、まかせてくださいよ。あ、今!いいのあるんですよ!
家賃5.1万円で、ホワイトフローリング!
ここにしましょう!!見てきてください!」 

M氏は僕にチャリ鍵を渡してきた。 
めっちゃ体育会系やな、M氏… 
いや、見てくるけど「ここにしましょう!」 の違和感な。
それは、カスタマーズコメントや!

……

1人ペダルを漕いで、 地図を片手に物件を探す。
徒歩8分というだけあって、自転車で3分もしないうちに物件に辿り着いた。 
立地はとてもよい。
ターコイズブルーのドアを開き、中にはいる。
室内は、まだクリーニング前であったらしく、とても汚かった。 
しかし、条件はすべて満たしているようだ。
二階以上だし、収納もある。
なによりターコイズブルーのドアに惹かれた。
ここで暮らす自分をイメージし、なんだかとてもワクワクしてきた。

……

「どう!?よかったでしょ!?
まだクリーニング前で汚かった?
あ、でもちゃんとホワイトフローリングに
張り替えるし、キッチンも新しくなるんで、大丈夫ですよ!」 

相変わらず、パワフルだ。
彼を見据えて、僕は言う。 

「M氏…入居決めました!」 

M氏のすでにほころんでいる顔が、より一層ほころんだ。 

「おー、気に入ってくれたか!よかった!
ありがとう。」 

M氏が手を差し出した。
がっちりと僕らは握手をした。
あ、熱い…。

……

帰宅すると、父がリビングでひとり酒をしているところだった。

「いい部屋見つかったかー?」 

僕は、高円寺の物件の申込書を差し出した。

「ここに決めました。
よろしくお願いします。」 

父は、つくづくと申込書を眺めた。
やがて相好を崩しながら、言った。

「高円寺かあ。いいなあ。俺も学生の頃、住んでたよ。
青春の街だ。」 

初耳だった。

父も、高円寺に住んでいたのか。 


「母ちゃんが、東中野で、俺が高円寺に住んでいたんだ。
浪人生活から、大学卒業するまで、ずっと高円寺だよ。
中央線は、いいよな。」


お、おう。


僕も、中央線が好きだ。
ステマでもなんでもなく、中央線が好きだ。
よく遅延してるけど、それすら愛らしいじゃないか。


「ついに俊平も、一人暮らしする日が来たのか。
まあ、健康に気を付けて、頑張れよ。」


父は、酔っているのか、うつろな視線を僕に向けた。


いや、違う。


父は、二浪した人だ。
今じゃ二浪する人なんてめったにいないけど、あの頃の多浪は、
それほど珍しいことではなかった。


姉も、二人の弟も、現役で大学に進学した。


しかし、僕。
僕は、一応、二浪という部類に入るのだろう。
もちろん元大学生という身分だけど、年齢の上では立派な二浪だ。
父は、だから、僕に特別な親近感を持っているのかもしれない。


その息子が、かつて自分が暮らした街、高円寺で下宿をするという。
父の視線は、うつろな訳ではなかったのだ。
もっと、遠くを見ていた。


僕を見ていた。


自分の息子というフィルタを通して、30年前の青春の影を追っていた。


30年前の自分が、そこにいたのだろう。


……


僕の部屋出た後、父と二人でお酒を飲んだ。


さまざまな話をし、本を渡され、寿司を食べ、日本酒を飲んだ。


二時間ほどが経ち、寿司屋を出て、父を見送った。


「じゃあ、俺はもう帰るけど。
遊びはほどほどにして、しっかり勉強しろよ。
あと、米買って、ちゃんと自炊しろよ。」


父はそう言うと、まだ賑やかな商店街を、駅の方へ歩いて行った。


その姿をしばらく眺めた。


そして、ぼんやりと思う。


この街で、僕は生きていく。


誰かの影を、辿りながら。



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