高円寺の古着屋でTシャツを買った。
本来ならもっと節約するべきなのだが、さすがに、ワンコインで買えるとなると思わず財布が開いてしまう。
僕はTシャツが好きだ。
それだけで自分を表現できるから。
シンプルなスタイルが好きだから、ジーパンにTシャツだけ、という軽装が多い。
そのシンプルな格好をいかにしてお洒落に見せるかは、Tシャツによるところだと思う。
部屋に帰り、新しい一枚に袖を通す。
なるべく、丁寧に。
どうせすぐヨレヨレになっちゃうんだけど、最初だけは丁寧に扱おうと考える。
でも今日は少し勝手が違った。
身体にピッタリしたサイズだからだろうか。
指先に生地が引っかかる。
生地を傷つけないように、やっとの思いでそれを着た。
「うん、いい感じ。」
そいつは僕の身体によくフィットした。
いい買い物をしたなぁと思いながら、ふと、指先に目がいく。
そして、中指の皮が剥がれかけていることに気づく。
さっき、うまくシャツを着れなかったのは、それが原因だったのだ。
(また、始まったみたい)
思い当たる節がある。
僕は、荒れた指先を、少し見つめてみた。
……
浪人してる頃、僕は毎日が充実していた。
眠れないことが多かったけど、ちゃんと睡眠時間は確保していたし、三食の栄養バランスのとれた食事を採っていた。
同じリズムで寝る、起きる。
それはきっと、身体にとても良かったはずだ。
しかし、小さな変化が身体に起きていることに、僕は気づいた。
(指先が荒れている…?)
指が綺麗なのは、小さい頃からの自慢だった。
もちろんもっと綺麗な人はたくさんいるが、ガサガサになるとか、ささくれ立つのがひどかったりとか、そういったことが一切ない指だった。
だから少しショックを受けた。
(毎日、健康的な生活をしているのになぜだろう)
ハンドクリームを塗って数日過ごしたが、一向に治る気配はない。
痺れを切らした僕は、母に相談した。
「なんか、指が荒れるんだけど。
ちゃんと栄養採っているのに」
母は、僕の指をつくづくと眺めてから、こうつぶやいた。
「多分、ストレスじゃない?」
ハッとする、というのはまさにこのことだろう。
ああ、そうなのか。
これが、ストレスなのか。
思えば、毎日将来が不安だった。
「充実している」
そう思っていたのはきっと建前で、本当はもっともっと怖かったんだと思う。
誰も、悩みを打ち明けられる人はいない。
言葉になることのないストレスは、指先から発散されていたのだ。
「そうかもしれない」
僕は素直にそれを認めた。
そして、なんだかスッキリした。
数日後、指先は何事もなかったかのように、綺麗な姿を取り戻した。
……
あの日以来、僕は指先が荒れると、遡及的に自分のストレスを知るようになった。
それを自分がそれと認めたくなくても、否応なしに指先が反応してしまう。
今回はなぜ荒れているんだろう、と考える。
引越しの準備?
将来について?
大学で何をしたいかわからない?
人間関係について?
もっと言うと、恋愛について?
すべて、当てはまる気がするなぁ。
最近いろんなことを考えすぎていたから。
僕は何をしたいんだろう、とか。
どこへ向かうべきなんだろう、とか。
そのせいで、人との関わりが億劫になって、対人関係も自爆的に悩んでしまっていた。
友達はもっと大事にしないといけないんだ。
……
「考えすぎじゃない?」
ここ数日間で、何人かの友人にそう言われた。
多分その通りだ。
僕はいろんなことを考えすぎている。
意味のないことに、意味を持たせようとしてしまう。
でも、考えすぎるのって、悪いことだろうか。
例えば僕は、安易な批判をする人が嫌いだ。
広告クリエイターの箭内さんの言葉を借りると、「批判するなら代案を用意」してほしい。
きっと意見を述べている人は、批判している人の何十倍も長い時間、そのことについて考えている。
論理的な思考に対して、感情的になって安易に批判をするのは、本当に失礼だと思う。
だから僕はたくさん、考えたい。
僕はたくさん、考えていたい。
……
もう一度僕は、荒れた指先を眺めてみた。
中指だけじゃなく、親指も荒れているなぁ。
そんなことを呑気に考える。
どうせハンドクリームを塗っても治らないし、気楽にいこう。
この理由もわからないストレスがなくなると、自然と指も治るんだ。
きっと今回も、もうすぐ治るだろう。
でも、案外この状態が、僕は好きだったりする。
僕らは悩んでいる時に、きっと成長しているから。
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