2012年3月29日木曜日

秋、南風が吹いて。


……

Friends are alright
There's nothing so sad
And the food is good today
It looks like things are going right
But I feel I'm all alone

Tell me how can I be such a stupid shit
No way I can't even find my way home
You said today is not the same as yesterday
One thing I miss at the center of my heart

友達はみんな元気だ
これといった悲しいこともない
ご飯も今日はおいしいよ
すべてうまくいっているように見えるけど
僕はこの上ない孤独に襲われるんだ

どうしてこんなクソったれになっちまったんだ?
家に帰る道さえもわからない
君は「もう昨日までとは違うのよ」と言うけれど
心の真ん中にぽっかり穴が空いている

The Autumn Song

…… 


「春って、秋と似てるよね。」

だれかの言葉が蘇る。
そのときは「そうかなあ」と首をかしげた僕だった。
温度的な問題じゃないの?
漠と、その方向。

でも今は、なんとなく、あいつの言いたかったことがわかる気がする。
3月だけど、The Autumn Song が心に響く。
そのことがすべてを物語っている気がする。

……

丸ノ内線に乗せるからだは、とても軽い。
耳に入るエルレガーデンは、とても心地よい。
ふと目をつぶって思うことは、あっという間だった、ということ。

自分には、圧倒的に読書量と教養が足りなかったことを痛感した。

だから、一生懸命勉強する、そう誓った半年だった。

朝起きて、勉強して、寝て、起きて、勉強して、の繰り返し。
本当に毎日同じリズムで生活してたから、まさに光陰矢のごとし。
一瞬ですべて終わってしまった。

二週間ほど前に、その集大成を見せつけてやった。

そして、今日は、3月10日。

一年前の自分は何をしてただろう?

そうだ、横浜アリーナにいたんだ。
姉と一緒に、レミオロメンのライブを観たのだ。
「3月10日なのに、ちゃんと3月9日やってたね。」と、二人で笑った。

その翌日、日本中に文字通り激震が走った。

東日本大震災。

日本中が悲観に暮れ、復興支援がキーワードになった。
一年たった今も、被災地は厳しい状況が続く。

翻って、僕。
この一年は僕にとっても、大きな意味のある一年だったと思う。

今日は3月10日。

東京大学の合格発表日だった。

……

勉強に明け暮れた半年間のことを詳しく書くつもりはないが、
少し説明が必要だろう。

なぜって、僕は今まで大学生だったからだ。
横浜にある国立大学、すなわち横浜国大に通っていた。
中だるみの大学2年生。の、7月。

不勉強な大学生だったと思う。
新聞は読んでなかったし、読書も一か月に2冊程度。
そのくせ何も学んでいなかった割に、エラそうであった。
学外活動に参加し、「社会ってこんなもんなんだな」と、
勝手に知った気になっていた。

そんな憎むべき男であった。

(私のことをよく知らない方のために記しておくと、
私はいわゆるナルシストらしく、生まれてこのかた自己嫌悪に陥ったことがなかった。
それゆえ、この自己嫌悪に陥っている状況は非常事態であったということであり、
あらかじめ読者の注意を喚起しておきたい。)

いつしか少年は、酔生夢死に毎日を送っていることに気付いた。
「このまま大学生を続けて、社会人になっていいのだろうか」

無論、その時勉強に目覚め、横国で一生懸命学問に励むことも可能だったはずだ。

しかし、なにかと私の意欲をそぐ出来事が頻発した。
たとえば、第一志望のゼミに落ちるなど。
いろいろとそれまでの不勉強のツケが回ってきて、半ば自暴自棄の状態だった。

もう一回、しっかり勉強したい…

だがそう思っているだけでは、チャンスは来ない。

僕は7月に入るまで、講義の出席等はしっかり押さえていたが、
それ以降学校に行くのが億劫になった。

午前中の授業は出ないで、家でぼんやりしていた。

……

そんなある日のこと。

いや、ある日ではない。しっかり覚えている。

7月7日、たなばたの日だった。

例によって家でのんびりしていた僕に向かい、母は言ったのだった。

「そんなに大学つまんないならね、もう一回受験してもいいわよ。

ただし、国立大学ね。」

はあ。

僕は今までそれとなく思っていたが、その日、確信したことがあった。

(俺の母ちゃん、キチガイだ)

今から受験?
大学、もう2年生の夏ですが?
しかも国立大学?
この人は、何をのたまっているのか!?!?

その時は、何も返事をしなかった。

しかし、やはり、心と体は違うらしいのだ。

僕はその日、大学へ行かなかった。

代わりに、本屋へ行った。

自分でも不思議だったけど、なぜか、参考書のコーナーに足が向かっていた。

そして東京大学の赤本に手を伸ばすと、そそくさとそれを購入した。

……

とはいえ、やり残していたことが学内、学外にあったので、
すぐに勉強には取り掛かれなかった。

授業のプレゼンを作成し、所属していたNGOの活動にもできるだけ関わった。
中途半端なままじゃ終われん。
その一心で、身の回りの様々な作業を片付けた。

でも、はやく勉強がしたかった。
だから「とりあえずここまでやればいいだろう」という自分の目標を達成したら、おしまい。
自分の中で一線ひけるところまでいったら、あとは全ての活動との関わりを絶った。

断腸の思いだった。

「申し訳ない。でも俺は勉強がしたいんだ!」

一人心の中でつぶやき、7月の終わりごろから本格的な受験勉強が始まった。

気づけば、二年前期の単位はすべて落としていたけど、もはやどうでもよい。
アイフォンの電源も常にオフ。
今必要なのは、読書であり、教養を身に付けることであり、勉学に励むことである。

……

そこからは、怒涛のように勉強した。

現役生の頃は知らなかったが、東京大学の入試問題は、
解けば解くほどに教養が身につくものだった。
私の知的好奇心を満たすのに堪えうる教材だった。
とても充実していた。

いかんせん時間が足りない気もしたが、そこは開き直るしかない。
残っている時間で、一生懸命やること。
ただ、それだけだ。

しかし11月の東大模試以降、かなりの危機感を覚えた。

「このままじゃ、落ちる!」

それからは、睡眠時間も削った。

一番勉強していた時期で、本当に1日15時間勉強していた。

……

実を言うと、今年、うちの家族には受験生が3人いた。
まずは僕。
次に、双子の弟たちである。

彼らは現役の、大学受験生だった。

そして二人とも理系であったが、東大を目指していた(僕は文系)。

僕がいわゆる「宅浪」受験生としてここまで頑張れたのは、
彼らの頑張りに触発されたところが大きい(ありがとう)。

模試を受ける度に感想を言い合った。

僕より彼らのほうが勉強しているような気がしたが、そこはやはり浪人(?)生。

11月の東大模試が返却されたが、結果は思ったほど悪くなく、
一番判定が良かったのは僕だった。

「このままいけば、受かるかもしれない。いや、絶対受かる!」

……

センター試験がやってきた。
最初の難関である。
ここで点を取らなければ、「足切り」を食らってしまう。

結論から言えば、悪くなかった。(よくもなかったがw)

789/900点!!

弟たちは二人とも、790点台だった。
デキル弟たちには、数点差で負けた。
兄弟だな、と思った。

でも、嬉しかったんだよなぁ。
現役の頃は、本当にダメすぎて、700点いかなかったから。
この短期間でよくここまで頑張った、と、ひとまず自分に拍手。

予備校はおろか、Z会もとらずに、とうとうスタートラインまできたのだ。

が、ここで安心してはいられない。
今日からの一か月が本当の勝負だ。

……

二次試験までの一か月は、ご存じのようにかなり長い。

そして私の集中力も頂点に達した。
世界史と地理の論述問題だけで、10万字書いた。
生まれて初めて、腱鞘炎(のようなもの)になった。

だけど、楽しかった。

大学生の間、ほとんど頭を使ってなかったから、
東大の入試問題は最高のリハビリとなった。

「頭を使うって、たのしい。」

なんか、忘れていた感情が蘇ったようだ。

……

とはいえ、時には勉強を挫折しそうにもなる。

2月に入ったある日のこと。
リビングで、俺に向かって母親が言った。

「今年はもらえないの、あんただけだろうねぇ(しみじみ)」

何の話だ。

と、思ったが、ピンときてしまった。

というか、気づいてないふりをしていたのに、わざわざ口に出すな!
私は心の中で憤慨する。

そう、その日は2月14日、実に憎むべき祝日であった。

しかし?

私は疑問があり、口に出す。

「あいつらだって受験生ジャン。あいつらの友達だって、受験生ジャン。

だから、そんなチョコ作ったりしてる暇ないジャン!」

母はとうとうと述べる。

「あいつら二人とも彼女いるんだから、もらうに決まってるじゃない」


なんと!ゆゆしき事態!!彼女いたとは!

俺は部屋にこもって頑張っているというのに!

愛の逢瀬など言語道断。許すまじ。

その日は勉強する気が失せたため、好きな小説を読んで過ごしたのである。

……

そんなこんなで、ついにやってきた、東大入試。
どんなことを考えていたか、うまく思い出せない。
勉強はなんとか間に合った。
あとはやるだけ。

不思議と緊張はなかった。
それよりも楽しみだった。

「どんな数学の問題がでるんだろう!?東大の問題なら、絶対楽しいな。

世界史の大論述も、今年はどんなトピックでくるんだろう?」

もう本当にわくわく。

……

そして、あああああっという間に、試験は終わってしまった。

最後の科目は英語。

英語の解答用紙の回収が終わったところで、なぜか涙がでてきた。

(本当に、終わったんだな、俺の二度目の大学受験…)

感慨深かった。

とめどなく流れる涙を止めることはできず、机上で寝たふりをして、泣いた。

……


今日は3月10日。

東京大学の合格発表日。

東大は、今でもキャンパスの掲示板に合格者を掲示する方式を取っている。
だから僕も、本郷キャンパスまで合格発表を見に行くのだ。


結果がどうであれ、淡々と受け止めようと心に決めていた。

受かっても冷静に、落ちていても冷静に。

しかし、本当のことを言うと、僕には実体のない確信があったのかもしれない。

例えば、右肩上がりで成績が上昇していたこと。

例えば、この短期間の勉強で、センターであれだけの得点をたたき出したこと。

例えば、2月に1度だけ受けた塾の東大講座で、世界史の得点が受験者トップだったこと。

例えば、受験本番に勘で書いた「北極圏」が、奇跡的に正解だったこと…。

「受かっている。」

そう、確信していたのかもしれない。

……

確信は、簡単に崩れ去った。

僕の受験番号は、なかった。

落ちたのだ。

掲示板の前で、たたずんだ。

隣の人が、胴上げされていた。

多くの人が歓喜の声をあげていた。

しかし、不思議と悔しさはなかった。

涙も出なかった。

……

二日後、一橋大学の後期試験を受けた。

受かる気は全くしなかった。

だって、東大京大一橋落ちの人しか受けないんだもの。
しかも前期試験が終わってから、勉強のモチベーションが著しく下がったから。
というよりも、東大ですべて出し切ってしまったのだ。

もう、本当に気力で受けた。

英語と数学。

英語は簡単だった。

数学の問題を見て、戦慄した。

(これは…解けないだろjk)

東大よりもはるかに難しかった。

……

どうやら神様が味方してくれたらしい。

一橋に受かったのである。

「受かった!」

そう母親に叫ぶと、彼女はなぜか涙を流し始めるので、僕は困ってしまった。


父親も喜んでくれた。

「おそらく、我が家の人間が受けた試験の中で、一橋後期が一番難関じゃないのか?

本当におめでとう。よくやったよ」

僕もうれしかった。

ちなみにデキる弟たちは、一人は東大に合格し、もう一人は早稲田で滑りどまった。

みんなで、親孝行できたのかなぁ。

……

これらのことが示唆するのはなんなのだろう?と、私は考える。

この半年間はなんだったのだろう、と。

僕は二十歳という、もっとも多感な年齢の半分を勉強に費やしたのだ。

意味はあったのか?

あったなら、何の意味が?

きっと、まだ答えはでないし、それは十年後、二十年後にやっとわかることなのだろう。

そのときに、この二十歳に決断した選択をしっかり愛せるように、僕は勉強し続けないといけない。

……

南風が吹いた。

春の、南風が。

いや、あいつなら「秋だ」と言うのかもしれない。

でも、どっちだっていいかな。

この南風は僕をあたたかい方向へ押し出してくれるから。

たくさんの人に支えられながら生きているんだな、僕は。

いつの日か、僕も南風になれますように。



2011/3/29          菊池俊平


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